今日の通読箇所:ヨハネによる福音書5:19~47、 歴代誌上13~14、箴言13
歴代誌上13~14;
神の箱を迎えに行こう、とダビデが言います。 サウルの時代にはこのことについて伺いを立て、 主の御心を問うて迎えることをおろそかにしてきた。私たちは、 今、「神の箱を私たちのもとに移そうではないか(13:2)」 とダビデはレビ人たちに呼びかけたのです。
しかしその途上で起きた出来事は、 私たちもこれまでに聖書を読んできて、 よく知っているとおりです。 牛がよろめいて神の箱が落ちそうになったとき、 ウザが手を伸ばしてこれを支えた。 しかし彼はレビ人ではなかったので、神に裁かれて死んだ。 この全く理不尽としか考えようのない出来事にダビデは怒った。 そして、神を畏れて、「 どうして神の箱を私のもとに運ぶことができようか」 と言いました。
神の箱を迎えたい、そのために御心を尋ね、 事柄にふさわしく正しいことをしたい。それは、 よい志であったのだろうと思います。しかし、神様は、 私たちの想像を超えて聖なるお方なのだということだと思います。 神様は、私たちの思惑に担がれる神輿のようなものではない。 聖なる方。私たちの思いを超えた方。 私たちがマニピュレートすることを決してお許しにはならない方。 そのことを、この事件は物語っているように思います。
しかし主は、 そんなダビデの王権を確かなものとして確立してくださいました。 「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として揺るぎない者とし、 その民イスラエルのために、 彼の王権を高めてくださったことを知った(14:2)」。 ダビデという王は、神の僕です。神に仕え、 隣人の信仰のために仕える僕です。私たちも、神の僕です。 神は私たちを隣人のために、 一人のキリスト者としておいてくださっているのです。
歴代誌上13~14;
神の箱を迎えに行こう、とダビデが言います。
しかしその途上で起きた出来事は、
神の箱を迎えたい、そのために御心を尋ね、
しかし主は、