2019年7月18日木曜日

2019年7月18日(歴代誌上13〜14)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書5:19~47、歴代誌上13~14、箴言13

歴代誌上13~14;
神の箱を迎えに行こう、とダビデが言います。サウルの時代にはこのことについて伺いを立て、主の御心を問うて迎えることをおろそかにしてきた。私たちは、今、「神の箱を私たちのもとに移そうではないか(13:2)」とダビデはレビ人たちに呼びかけたのです。
しかしその途上で起きた出来事は、私たちもこれまでに聖書を読んできて、よく知っているとおりです。牛がよろめいて神の箱が落ちそうになったとき、ウザが手を伸ばしてこれを支えた。しかし彼はレビ人ではなかったので、神に裁かれて死んだ。この全く理不尽としか考えようのない出来事にダビデは怒った。そして、神を畏れて、「どうして神の箱を私のもとに運ぶことができようか」と言いました。
神の箱を迎えたい、そのために御心を尋ね、事柄にふさわしく正しいことをしたい。それは、よい志であったのだろうと思います。しかし、神様は、私たちの想像を超えて聖なるお方なのだということだと思います。神様は、私たちの思惑に担がれる神輿のようなものではない。聖なる方。私たちの思いを超えた方。私たちがマニピュレートすることを決してお許しにはならない方。そのことを、この事件は物語っているように思います。
しかし主は、そんなダビデの王権を確かなものとして確立してくださいました。「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として揺るぎない者とし、その民イスラエルのために、彼の王権を高めてくださったことを知った(14:2)」。ダビデという王は、神の僕です。神に仕え、隣人の信仰のために仕える僕です。私たちも、神の僕です。神は私たちを隣人のために、一人のキリスト者としておいてくださっているのです。

2026年1月31日の聖句

主よ、あなたの働きは私を喜ばせる。 私はあなたの手の業を喜び歌おう。(詩編92:5) (足が不自由であった男は)躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、(ペトロとヨハネ)二人と一緒に境内に入って行った。(使徒3:8) 使徒ペトロとヨハネとに足を癒...