2019年7月21日日曜日

2019年7月21日(歴代誌上19〜20)

今日の通読箇所:マタイによる福音書23:23~39、歴代誌上19~20、箴言16

歴代誌上19~20;
アンモン人の王は、父が死んだ後、ダビデが遣わした弔問の使いを侮辱しました。部下たちが「ダビデがお父上に敬意を表して弔問の使いを送ってきたとお考えですか。ダビデの家臣があなたのもとに来たのは、この地を調べ、覆し、探るためではないでしょうか(19:3)」と進言したのを真に受けてしまったのです。
情勢判断のミスということになるのでしょうが、自分がこのアンモンの若き王の立場にあったらと思うと、とても難しい判断を迫られたことはよく分かります。相手の出方、意図は分からない。もしも部下が言っているとおりだとしたら、のんびり弔問客を迎え入れている間に、自分の国が攻め込まれてしまうかもしれません。難しい判断の局面であったと思います。
今、箴言をあわせて読んでいます。今朝の箇所にこのような言葉がありました。「業を主に委ねよ。そうすれば、あなたが計らうことは堅く立つ(箴言16:3)」。そうは言っても、その「業を主に委ねる」ということが難しい。そう思われるかもしれません。実際、どうしたら私たちが自分の業を主に委ねることができるのでしょうか。
やはり、私たちキリスト者にとって、それは祈りつつしていくということに外ならないと思います。アンモンのあの若き王は、不安でいっぱいだったと思います。破竹の勢いのダビデ王と、若くて経験の乏しい自分。不安は焦りを産み、憎しみを増します。そんなとき、私たちは祈りと御言葉という原点に帰るのです。自分が進もうと思っていた道は、もしかしたら神様からご覧になったら違っていたのかもしれない。そういうときは、神様がちゃんと連れ戻してくださいます。そう信じて、祈りつつ、一つひとつを決断していく。私たちの毎日はその繰り返しなのではないでしょうか。

2025年1月10日の聖句

(主の言葉)彼らが私を畏れ、私のすべての戒めを守る心をいつも自分の中に持ち続け、彼らもその子孫も、いつまでも幸せであるように。(申命記5:29) あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。あなたがたの内に...