今日の通読箇所:コリントの信徒への手紙二12、エステル記8:1~9:15
エステル記8:1~9:15;
運命の大逆転とでもいうべき出来事が、さらに決定的になりました。民族全体に、その逆転劇が広まります。エステルの勇敢な申し出により、ユダヤ人に決定づけられていた殲滅作戦は覆されました。ハマンは王の権威を着てその作戦を立てましたが、エステルとモルデカイは王の権威を与えられてこれを中止に追い込んだのです。
さらに、このような触れを出しました。「その中で王は、すべての町にいるユダヤ人に、集まって自分たちの命を守り抜き、迫害しようとする民族や州の軍隊を、子どもや女に至るまでことごとく根絶やしにし、殺し、滅ぼし、その財産を奪い取ることを許した(8:11)」。そして、この新しい定めは実行に移され、やはりここでもハマンの身に起こったように、悪巧みをした者の上にその企みが帰って行った。逆転したのです。
エステル記後半、特にこの場面については、現代の価値観からすると戸惑いを覚えることも確かであると思います。ここで起きたことは、民族的な報復であるからです。ただ、あまりエステル記を現代の価値観で裁いてしまうよりも、この書そのものが何を言わんとしているのかを聞き取ることの方が、事柄にふさわしいのではないかと思います。
エステル記は見えない神の見えない支配を信じ、「このような時のため」というその機(カイロス)に懸ける一人の信仰者の冒険を語ります。そして、それによって起こる鮮やかな逆転劇。それは、目に見えない神が、ペルシアという超大国の歴史をも、目に見えない仕方で支配しておられることの証左です。私たちの生きるこの世界は、混乱に混乱が重なり、あまりの悲惨に陥っています。しかし、それでも神の支配を私たちは信じます。私たちの生きるこの時代、もうすでにこのような報復は許されないのかもしれません。しかし、私たちは、抑圧され、虐げられ、小さくされたものと運命を共にしておられるお方こそがこの世界の歴史を支配していることを信じ、そのお方に懸ける。そのような信仰に生きたいと願います。
2025年12月15日の聖句
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