今日の通読箇所:コリントの信徒への手紙二13、エステル記9:16~10:3
エステル記9:16~10:3;
エステルの出来事を記念して、プリムの祭が生まれました。ハマンの悪巧みが打ち砕かれ、その企みがハマンとハマンの家の上に降りかかり、ユダヤ人が生き延びたことを祝う祭です。
プリムは「プル」という言葉の複数形です。。プルは籤のことで、ハマンはプルを投げてユダヤ人殲滅の日時を決めていました。3:7に書かれています。ハマンがプルによって決めた日がアダルの月で、その13日に計画が実行されることになっていました。しかしこれまで見てきたとおり、大逆転が起こり、その日はユダヤ人の解放と救済の日になったのです。これを記念して、「アダルの月の十四日と十五日を毎年祝うことに定めた。すなわちユダヤ人が敵からの休息を得た日として、悲しみが喜びに、嘆きが祝いの日に変わった月として、これらを祝宴と喜びの日とし、互いに食べ物を送り合い、貧しい人々に施しをすることとした(9:21~22)」。アダルの月は、春の初めです。今でもプリムの祭は祝われています。プリムはユダヤの祭の中でも最も賑やかで開放的で、大人も子どもも一緒に仮装をし、オズネ・ハマン(ハマンの耳)と呼ばれるお菓子を食べるそうです。会堂ではエステル記が朗読され、朗読中に「ハマン」という名前が出てくると、人々は足を踏みならし、騒音を立てます。祭りの期間中は、あちこちで冗談を言い、お酒を飲むなど少々羽目を外した行為も許されているようです。
祭は、日常の外に人々を連れ出します。そして、日常を越えた視点で自分たちが何者だったのかに気づかせます。現代の社会には祭がすっかり失われてしまいました。せいぜい、縁日くらいでしかありません。その意味でも、礼拝の祭としての性格はとても大切です。私たちは週の初めに神の前で祭をし、日常の営みの外に出ます。外にしかない視点でアイデンティティと新たにし、日常の営みに戻っていきます。そうやって、自分が何者なのかを確認しながら生きていくのです。
2024年12月26日の聖句
私が主、彼と共にいる彼らの神であり、彼らがわが民イスラエルの家であることを、彼らは知るようになるーー主なる神の仰せ。(エゼキエル34:30) 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11) 天使が羊飼いたちに向かって宣言し...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...