2019年9月13日金曜日

2019年9月13日(イザヤ書29〜30)

今日の通読箇所:コロサイの信徒への手紙3、イザヤ書29~30

イザヤ書29~30;
主なる神、イスラエルの聖なる方はこう言われる。「立ち帰って落ち着いていれば救われる。静かにして信頼していることにこそ、あなたがたの力がある。」しかし、あなたがたはそれを望まなかった。あなたがたは言った。「いや、馬に乗って逃げよう」と。(30:15~16)
静けさは、信頼のしるしです。神を信頼していないからこそ、心は騒ぎ、慌てて、目先の安心ばかりを求めて失敗を重ねてしまいます。預言者イザヤの時代、イスラエルの人々は強国の台頭を見て他の国と軍事同盟を結び、それで自分たちの安全を保証することができると考えていました。軍馬や兵士の数を頼みとしていました。しかし、本当に力になるのは、主なる神への信頼のはずではないかと預言者は訴えます。
「あなたがたの考えは逆様だ。陶工が粘土と同じに見なされるだろうか。造られた者が、それを造った者に言えるだろうか『彼が私を造ったのではない』と。陶器が陶工に言えるだろうか『彼には分別がない』と(29:16)」。私たちは神を信頼するのではなく、不遜にも神に向かって『お前には分別がない』と言ってのけ、却って心を騒がせているだけなのかもしれません。
「それゆえ、主はあなたがたを恵もうと待ち、あなたがたを憐れもうと立ち上がる。主は公正の神であられる。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む者は。シオンの民、エルサレムに住む者よ、あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの叫び声に応えて、必ずあなたに恵みを与えてくださる主がそれを聞かれると、直ちにあなたに答えられる(30:18~19)」。この冒頭の「それゆえ」は、聖書を順番どおりに読んでみても、どういう因果関係の「それゆえ」なのかが、分かりません。神が私たちを恵んでくださる因果関係は、不明です。あえて言えば、私たちが傲慢で不遜であり、罪深く、静かに救いを待ち望むこともない、だから、それゆえ、神はあなたたちを恵もうとして・・・ということになります。私たちには神の恵みを受ける理由はないけれど、神様は、それをしてくださる。神様は、それほどに自由なお方だからです。私たちは、神の自由な恵みによって、救って頂いたのです。

2026年5月5日の聖句

主が御顔をあなたに向けて あなたに平和を賜るように。(民数記6:26) 「闇から光が照り出でよ」と言われた神は、私たちの心の中を照らし、イエス・キリストの御顔にある神の栄光を悟る光を与えてくださったからです。(2コリント4:6) この世界に光を創造した神は、私たち...