今日の通読箇所:コロサイの信徒への手紙3、イザヤ書29~30
イザヤ書29~30;
主なる神、イスラエルの聖なる方はこう言われる。「立ち帰って落ち着いていれば救われる。静かにして信頼していることにこそ、あなたがたの力がある。」しかし、あなたがたはそれを望まなかった。あなたがたは言った。「いや、馬に乗って逃げよう」と。(30:15~16)
静けさは、信頼のしるしです。神を信頼していないからこそ、心は騒ぎ、慌てて、目先の安心ばかりを求めて失敗を重ねてしまいます。預言者イザヤの時代、イスラエルの人々は強国の台頭を見て他の国と軍事同盟を結び、それで自分たちの安全を保証することができると考えていました。軍馬や兵士の数を頼みとしていました。しかし、本当に力になるのは、主なる神への信頼のはずではないかと預言者は訴えます。
「あなたがたの考えは逆様だ。陶工が粘土と同じに見なされるだろうか。造られた者が、それを造った者に言えるだろうか『彼が私を造ったのではない』と。陶器が陶工に言えるだろうか『彼には分別がない』と(29:16)」。私たちは神を信頼するのではなく、不遜にも神に向かって『お前には分別がない』と言ってのけ、却って心を騒がせているだけなのかもしれません。
「それゆえ、主はあなたがたを恵もうと待ち、あなたがたを憐れもうと立ち上がる。主は公正の神であられる。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む者は。シオンの民、エルサレムに住む者よ、あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの叫び声に応えて、必ずあなたに恵みを与えてくださる主がそれを聞かれると、直ちにあなたに答えられる(30:18~19)」。この冒頭の「それゆえ」は、聖書を順番どおりに読んでみても、どういう因果関係の「それゆえ」なのかが、分かりません。神が私たちを恵んでくださる因果関係は、不明です。あえて言えば、私たちが傲慢で不遜であり、罪深く、静かに救いを待ち望むこともない、だから、それゆえ、神はあなたたちを恵もうとして・・・ということになります。私たちには神の恵みを受ける理由はないけれど、神様は、それをしてくださる。神様は、それほどに自由なお方だからです。私たちは、神の自由な恵みによって、救って頂いたのです。
2026年5月5日の聖句
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