2019年9月12日木曜日

2019年9月12日(イザヤ書27〜28)

今日の通読箇所:コロサイの信徒への手紙2、イザヤ書27~28

イザヤ書27~28;
「その日には、美しいぶどう畑の歌を歌え。主である私はその番人。絶えずぶどうに水をやり、畑が荒らされないように、夜も昼も守っている。私は憤らない。茨とあざみが私と戦おうとするなら、私は進み出て、それをまとめて焼き払おう。それを望まないなら、私の保護の下に入り、私と和解するがよい。和解を私とするがよい。時が来れば、ヤコブは根を掘り、イスラエルは芽を出して花を咲かせ、世界の地の面をその実りで生かす(27:2~5)」。
主なる神様は、私たちというぶどう畑を守ってくださる番人です。主が、絶えず私たちに水を与え、荒らされないように昼も夜も守っていてくださいます。私たちは、その報いに、ただ酸い実をつけるだけのぶどうでしかありません(第5章参照)。しかし、主は、憤ることなく私たちを招いてくださいます。「私と和解するがよい。和解を私とするがよい」と。私たちが雑草のように抜かれ、火で焼かれてしまうことがないように、私たちが芽を出して花を咲かせ、豊かな実りで世界を生かすために、神様は「私と和解するがよい」と、私たちを招いてくださっています。
「見よ、私はシオンに一つの石を据える。これは試みを経た石、確かな基礎となる尊い隅の親石。信じる者は、慌てることはない。・・・あなたが立てた死との契約は取り消され、陰府との協定は成立しない。洪水がみなぎり、あふれると、あなたがたはそれに押し流される(28:18)」。私たちは、この世界の風や流れにすぐに呑み込まれそうになり、棹さしてうまくやることばかりを考えてしまいます。しかし、私たちが捨てた石、キリストという石が隅の親石になって、これを基として神が堅固な建物を建ててくださる。私たちを罪と死の仲間にしておくのではなく、神と和解した神の仲間にしてくださいます。キリストが、私たちを救ってくださいます。

2025年1月16日の聖句

人間の高ぶる目は低くされ、人の高慢は卑しめられる。 その日には、主のみが高くされる。(イザヤ2:11) 神は知恵ある者を恥じ入らせるために、世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました。また、神は世の取るに足りない者や軽んじられている者を選ばれました。...