今日の通読箇所:テサロニケの信徒への手紙二3、イザヤ書45~46
イザヤ書45~46;
ここには同じ内容の言葉が何度も繰り返されていました。それは「私は主、ほかにはいない。私のほかに神はいない(45:5)」ということです。何度も繰り返しています。これまで聖書を通読してきて、これだけ集中的にこの事柄を言い表している箇所はほかにはないのではないかと思うほどです。
もう一つ、ここで集中して言い表されていることは「地を造り、その上に人間を創造したのは私だ(12節)」という内容です。この天と地、そこにある万象を造ったのは、ただお一人の神である主、ほかに神はいない。そのように宣言します。
どういう場面でこのことが言われていたのか、ということが大事です。「主は油を注がれた人キュロスについてこう言われる(45:1)」と言っているとおり、これはペルシアのキュロス王が台頭し始めた時代の言葉です。まだイスラエルはバビロニアに支配されています。捕囚の帰還はもうすぐ70年を迎えようとしており、捕囚された人々からすでに1世代、2世代と経過していました。故国イスラエルに帰ることができる、自分たちが救われるなどとは想像もできない時代です。そういう時代に神様は「私の救いは遅れることはない(46:13)」と宣言なさったのです。
つまり、神はただお一人というのも神がこの天と地のすべてのものをお造りになったというのも、神が私たちを必ず救ってくださるという宣言と同じ事柄である、ということです。偶像は家畜に背負われ、運ぶものの荷物になります。しかし、主なる神様は、それとは逆です。「聞け、ヤコブの家よ、またイスラエルの家のすべての残りの者よ、母の胎を出たときから私に担われている者たちよ、腹を出た時から私に運ばれている者たちよ。あなたがたが年老いるまで、私は神。あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。私が造った、私が担おう。私が背負って、救いだそう(46:3~4)」。この方は私たちに背負って運んでもらわなければならない神輿ではなく、却って私たちを背負い、担い、必ず救ってくださるお方です。私たちの生まれたときから、白髪になるまで、この方が私たちを担い、救ってくださる。このただ一人の神、私たちを造ってくださった方が、私たちの神なのです。
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