2019年10月17日木曜日

2019年10月17日(エレミヤ書32〜33)

今日の通読箇所:ペトロの手紙二3、エレミヤ書32~33

エレミヤ書32~33;
エレミヤの故郷アナトトから彼の親戚筋の人が来て言いました。「ベニヤミンの地のアナトトにある私の畑を、どうか買い取ってください。あなたには主要県と買い戻す権利がありますから、あなたが買い取ってください」(32:8)。イスラエルでは土地に家名を残すために、何かの事情で土地を売るときには同じ家の者がそれをしました。アナトトから来た人は、これに基づいて「私の土地を買うべきはエレミヤよ、あなただ」と主張したわけです。エレミヤは神様からあらかじめこういう人が来ると言われていましたので、神様からの言葉と受け止め、その土地を買いました。
しかし、エレミヤは、もうユダの国が滅びゆくことを知っていました。カルデア人の脅威が迫っている。いや、エレミヤに畑を売りつけに来た人の目にだってもう絶望的な状況は明らかなので、少しでも土地を現金化しておきたいと考えたのかも知れません。
エレミヤはカルデア人について、神に向かってこう言っています。「今や、この都を占領しようとして、塁が築かれました。剣、飢饉、疫病のゆえに、都は攻撃しているカルデア人の手に渡されようとしています。あなたの語られたことは実現しました。ご覧のとおりです。主なる神よ、それでもあなたは私に、『銀で畑を買い、証人を立てよ』と言われました。都がカルデア人の手に渡されようとしているにもかかわらず」(24,25節)。アナトトの畑の購入は、先行投資としては究極的に無駄遣いです。
しかし、人間の尺度からしたら絶望しかないところにも、神様は新しい出来事を起こしてくださいます。「しかし、私はこの都に回復と癒やしをもたらし、彼らを癒やして、確かな平和を豊かに示す。そして、ユダとイスラエルの繁栄を回復し、彼らを初めの時のように立て直す。私に対して犯したすべての過ちから彼らを清め、彼らが私に対して犯し、背いた過ちのすべてを赦す」(33:9)。「その日が来るーー主の仰せ。私は、イスラエルの家とユダの家に語った恵みの約束を果たす。その日、その時、私はダビデのために正義の若枝を出させる。彼は公正と正義をこの地に行う。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに暮らす。この都は『主は我らの義』と呼ばれる」(14~16節)。
人間的な尺度でみれば、希望は残されていないし、絶望しかない。土地を持つよりも打った方が賢い状況だったのでしょうし、買ったエレミヤは愚か者と見られたかも知れません。しかし、主の約束、回復の約束を信じるものは、他の誰も見ない希望を見るのです。私たちは人間として回復しうる根拠はないけれど、神はご自身を懸けた約束のゆえに、私たちを必ず救ってくださいます。「その日が来る。」主はそう言われます。

2025年7月14日の聖句

(ソロモンの言葉)見よ、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです。(列王記上8:27) まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。(ヨハネ4:23) ソロモンが建てた神殿は一体どのような建物だったのでしょ...