「牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが、豊作をもたらすのは牛の力。」まさに、と言わざるを得ないような言葉だ。飼い葉桶を清潔にすることを目標にするのか、豊作を得ることを目標にするのか。飼い葉桶を生活に保つというのは、短期的な仕事だ。毎日しなければならない。しかし豊作のためには一年を通した労苦が必要。今しか見ていないと、飼い葉桶のことしか目に入らない。先を見る目、「思慮深さ(8節)」が必要である。知恵に聞こう。
2024年5月8日の聖句
(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記1 8、詩編124~125 ヨシュア記18; 「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのを いつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つ の部族には所有地が割り当てられましたが、 まだ...
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詩編29~30 主は洪水の上に座し 主は王として、とこしえに座した。 主がその民に力を与えてくださるように。 主がその民を祝福してくださるように 平安のうちに。(30:10~11) 川の水はかの平清盛にさえもどうにもならないと言わしめたと聞き及んだことがあります。私たち人間の...