2025年10月24日金曜日

2025年10月24日の聖句

あなたの未来には希望があるーー主の仰せ。(エレミヤ31:17)
神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来たるべき世に現そうとされたのです。(エフェソ2:7)

私たちにはこれから先のことは分かりません。自分自身の事も分からないし、私たち皆が生きているこの国や社会の行く末も分かりません。皆が共に生きるためのプラットフォームであるはずの社会が保たれるのか、共に生きるに足るものとなりうるのか。私たちが生きている間だけではなく、孫子の世代になったとき、日本社会は一体どうなっているのでしょう。そういうことを考えたときに明るい見通しをもっているという人は、今の世の中にはあまり多くないような気がします。どうでしょうか。
しかし、聖書は言います。「あなたの未来には希望があるーー主の仰せ。」主なる神様ご自身が、私たちの将来にある希望を宣言してくださっています。
これは旧約聖書のエレミヤ書に書かれている言葉ですが、今日の31:17には続きがあります。「あなたの未来には希望があるーー主の仰せ。子らは自分の国に帰ってくる。」ということは、今は子どもたちが国からいなくなっている、ということです。この時代、ユダヤの国は消滅していました。バビロン捕囚の時代です。国は滅ぼされ、民は遠い異国の地に捕囚として連れ去られ、子どもたちも自分の国からいなくなってしまった。そういう現実を目の前にしながら、なおも神さまは言ってくださいます。「あなたの未来には希望がある」と。
これは、希望に足るような兆候や徴があるから、良くなりそうな兆しや見込みが立ちそうだから、ということではありません。故国は瓦礫の山になり、かつての暮らしは崩壊し、遠い異国に連れ去られた。それが目の前に広がっている現実です。しかし、そうであるにも拘わらず、神は希望を宣言してくださいます。
「神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来たるべき世に現そうとされたのです。」ここに書かれている主イエス・キリストにある希望こそ、究極の「にもかかわらずの希望」です。十字架にかけられて惨殺された方です。世間から見れば志半ばで殺された人物です。しかし、それにもかかわらず、神はこのお方によって私たちの希望を確かにしてくださいました。限りない神の慈しみは、十字架にかけられたこのお方によって現されました。神の新しい出来事が主イエスにおいて始まっている。私たちのための希望の御業が。そのことを信じるか、と主は私たちに語りかけておられます。

2025年10月24日の聖句

あなたの未来には希望があるーー主の仰せ。(エレミヤ31:17) 神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来たるべき世に現そうとされたのです。(エフェソ2:7) 私たちにはこれから先のことは分かりません。自分自身の事も分からな...