2020年1月8日水曜日

2020年1月8日(マタイによる福音書8:1〜17)

マタイによる福音書8:1~17;
主イエスは多くの病む人々を癒やしてくださいました。「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れてきた。イエスは言葉で悪霊どもを追い出し、病人を皆癒やされた。」そして、そういう主イエスのお姿を、福音書を書いたマタイは旧約聖書の預言者の言葉の成就であると言います。「彼は私たちの弱さを負い、病を担った。」主は、私たちの弱さを負ってくださいました。主は、私たちの病を担ってくださいました。これほどの慰めはない。これほどありがたいことは、他にありません。
今朝の箇所には、いくつかの病の癒やしが連続して語られています。最初は山上の説教の直後に規定の病に苦しむ人を癒やされました。「規定の病」というのは新共同訳聖書では「重い皮膚病」と翻訳されていた病気です。聖書協会共同訳は、律法が規定する病という意味で規定の病と訳語を改めました。原語には「重い」という意味も、直接的に「皮膚病」という意味もないからです。同じ言葉で家屋の壁に生じるカビを意味することもあるのです。問題は、この病が律法が規定する祭儀のタブーに触れる、ということでした。そのために、この病は激しく差別されていました。ところが、主イエスはそのタブーに対して権威を発揮し、差別を打ち砕きます。「私は望む。清くなれ」と主が言われると、この人の病は清められました。
もう一つは、百人隊長の息子の癒やしです。ここでははっきりとイエスの言葉の権威が主題となります。百人隊長は言います。「ただ、お言葉をください。そうすれば、私の子は癒やされます。私も権威の下にある人間ですが、私の下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。」主の言葉は、病に対して権威を持ちます。そして、この人は百人隊長なのですから、異邦人であろうと思います。ユダヤ人か異邦人か、という境界線をも越境する権威を持ちます。
律法のタブーや祭儀のタブーを乗り越える権威。病を癒やす御言葉の権威。異邦人をも救いに招く権威。悪霊に取りつかれた人を癒やす権威。すべて、イエス・キリストの御言葉の権威です。キリストの御言葉の権威は、私たちを癒やし、私たちの病を負い、私たちに命を回復するために発揮されているのです。今朝も、私たちは主イエス・キリストの権威ある御言葉に聞きました。キリストのお言葉に従うために、私たちは新しい一日を始めていきます。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...