2020年4月22日水曜日

2020年4月22日(ルカによる福音書3)

ルカによる福音書3
ルカによる福音書は、とても文学的な構造になっていると思います。今回使っている通読表では、この福音書の第1章と第2章は12月に読むことになっています。クリスマスの出来事を伝える記事として、その時期に割り振られています。しかし、今日の第3章を読んで気づくのは、むしろルカとしては1から3章までを一つの大きな段落、あるいはプロローグと考えていたであろう、ということです。
今朝の23から38節に、主イエスの系図が書かれています。マタイによる福音書では、福音書の冒頭に置かれていました。しかも、マタイはアブラハムから始まって主イエスに至っていましたが、ルカではイエスから始まって「アダム、そして神に至る」となっています。明らかにマタイとルカとでは系図は系図でも、それを書く目的が違う、ということになるでしょう。
マタイがアブラハムから始めていることから分かるのは、彼がイエスの新しい神の民を形成しようという思いを強く意識していたということです。アブラハムは信仰者の父と呼ばれ、神の民の基となった人物ですから。それに対しルカは最初の人間アダムまで系図を遡っています。ユダヤ人だけではない、異邦人も含めた全人類の救い主イエスのお姿を描こうとしているに違いありません。
そしてもう一つは、ルカがこの第3章の最後に系図をおいたことの意味です。思えばここまで、クリスマスから洗礼者ヨハネまで、主イエスはご自身主体的に何かをしてこられたわけではありませんでした。主イエスが公にその活動を始められる前の段階です。その最後に主は洗礼を受け、その時、「天が開け、聖霊が鳩のような姿でイエスの上に降ってきた。すると、『あなたは私の愛する子、私の心に適う者』と言う声が、天から聞こえた」のでした。つまり、主イエスの洗礼やそれを頂点とするプロローグはは主がどなたなのかということを明らかにする記事です。神の御心に適う神の子でいらっしゃるイエス。そのお方はアダムの子孫として生まれた人の子であり、すべての人々を救ってくださる神の子だと言っているのではないでしょうか。
従って、ルカによる福音書が冒頭三章で私たちに訴えていることは、主イエス・キリストという方が、この私の救い主でいてくださるということです。ユダヤ人にも異邦人にも救い主でいてくださる方が語る宣教の言葉に聞いてほしい。ここには福音宣教者ルカの熱い思いが込められています。

2024年4月19日の聖句

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