2020年5月23日土曜日

2020年5月23日(ルカによる福音書20:1〜19)

ルカによる福音書20:1~19
「民衆はこれを聞いて、『そのようなことがあってはなりません』と言った。」
これは、主イエスがなさった譬え話への民衆の反応です。ぶどう園と農夫の譬え。ある人がぶどう園を造った。農夫たちに任せて、長い旅に出ます。収穫の時になったので僕を送りましたが、農夫たちはこの僕を袋叩きにした。別の僕を送っても三人目の僕を送っても、同じ目に遭わされます。主人は最後に自分の息子を送りました。「どうしようか。私の愛する息子を送ろう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。」ところが、農夫たちは却ってこの跡取り息子を殺せばぶどう園は自分たちの者になるに違いないと言って、この息子を殺しました。農夫たちは、主人に殺されました。
「そのようなことがあってはなりません」と民衆は言います。もちろん、農夫を裁く主人の仕打ちに対して言ったのではなく、主人の一人息子を殺した農夫たちの残虐な振る舞いのことです。私たちも同じように思うのではないでしょうか。そして、私たちはこの譬えを読んだときに、明らかにこの譬えの主人は神であり、僕は預言者たち、農夫は私たち、主人の息子が主イエスであると分かります。私たちが神さまと主イエスさまに何をしてしまったのかが語られている。そのことは、この譬えを読めばすぐに分かります。
私も、思います。「そのようなことがあってはなりません」と。民衆がそうであったように、まるで人ごとに。この譬えを読むと、私は、自分が神さまの一人息子を殺すほどの極悪な農夫であることを、自分は身にしみてわきまえていないのだと考えないわけにはいかないのです。
主イエス・キリスト。神さまの子です。独り子です。この方が殺されることなんて、本当はあってはならないことです。私も頭ではそう思っています。しかし、実際には、どれだけ自分の骨身に染みて「あってはならない」とわきまえているのかというと・・・言葉がでてきません。神さまの怒りや悲しみにたいする自分の思いの貧しさに、愕然とするより他ない。
だから、私も本当は、あの農夫たちと同じように裁かれるべきです。殺されるべきです。それなのに、神さまは私たちが殺した独り子の血によって私たちを救ってくださいました。あってはならないことを、私たちのための救いの出来事に変えてくださいました。あまりの途方もない神さまの御業に、言葉がでてきません。私は、ただただこのお方の途方もない御業の前に、頭を垂れるだけです。

2024年3月29日の聖句

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