2020年5月6日水曜日

2020年5月6日(ルカによる福音書10:1〜24)

ルカによる福音書10:1~24
「すべてのことは、父から私に任せられています。父のほかに、子が誰であるかを知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかに、父が誰であるかを知る者はいません。」これは、主イエス・キリストの祈りの言葉です。主イエスさまは、神の子として、神様をご自分の父と呼んで私たちに紹介してくださいました。
更に、主イエスは弟子たちに向かって(つまり私たちに向かって)こう言われます。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」弟子たちが見ているもの、多くの預言者や王が見たかったが見られなかったもの、それはやはり主イエスご自身のことでしょう。弟子たちも、この世界も、主を見ながら本当にはこの方が神の子だということは悟りませんでした。だから主を十字架にかけ、あるいはその時になったら裏切ってイエスを捨ててしまった。「父のほかに、子が誰であるかを知る者はない」のです。しかし、なお、弟子たちは主イエスを見ることが許されていました。その声を聞かせていただきました。それは、私たちも同じです。使徒パウロがガラテヤの教会に書いた手紙に、「十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前にはっきりと示された」と書いています。キリストを語る説教の言葉を聞いたとき、あなたたちは十字架につけられたキリストを目の前に見ていたはずだ、と言います。
私たちは十字架のキリストを仰ぎ、それによって、父なる神様を仰ぎます。十字架にかけられたキリストが、私たちに父なる神様を紹介し、知らせてくださっているのです。
今日の聖書の御言葉は、今読んだ21節の前まで、キリストを宣べ伝える弟子たちの姿と、それに遣わす主イエスのお言葉を伝えていました。今、私たちにもキリストは同じ使命を託しておられます。今私たちは町中に出ずともその使命に生きることはできます。私たちが今いる場所は、もうすでに神に遣わされている場所です。この場所で、私たちは十字架につけられたキリストと、父なる神の愛を証しします。福音を、キリストは私たちに託してくださったのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...