2020年7月13日月曜日

2020年7月13日(使徒言行録28:16〜31)

使徒言行録28:16~31
ローマに到着したパウロにはある程度の自由が認められました。そこで彼がすぐにしたことは、ローマにいる主立ったユダヤ人と会い、話し合うことです。自分についてのエルサレムのユダヤ人の陰謀が手紙によってローマのユダヤ人に知らされ、同じ妨害に遭うのではないかという懸念もあったのかも知れません。パウロは彼らと出会い、すぐに話し合いました。「パウロは朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得したのである。」時間をかけて語り合い、ユダヤ人の反応は、他の町でもそうであったのと同じように、二つに分かれました。「ある者は話を聞いて納得したが、他の者は信じようとはしなかった。」
パウロは、どこに行っても、誰が相手でも、同じことをし続けたのだなと思います。ひたすら、イエスについて説得し、ここに救いがあることを語りました。その後のこと、相手の反応については相手の領分なのであって、反対するであろう相手にも恐れずに福音を語り続けます。相手の反対もまた神の御手の内にあることを信じていました。
「互いの意見が一致しないまま、彼らが立ち去ろうとしたとき、パウロは一言、次のように言った。『聖霊が預言者イザヤをとおしてあなたがたの先祖に語られたことは、まさにそのとおりでした。「この民のところに行って告げなさい。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じている。目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、立ち帰って、私に癒やされることのないためである。」』」逆説的なようですが、神様の手の中にあることを信じていたから、当然反対する者もいることをわきまえていたから、逆に、彼は臆せずに福音を語り続けることができたのだと思います。そして、自分の使命が何であるのかを、彼は知っていました。「この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」異邦人のための使徒として、パウロは福音を語り続けます。
パウロを巡る使徒言行録の言葉は、ここで終わります。その後もパウロはローマで福音を語り続けました。囚人でしたが、実に自由に語り続けました。「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」私たちの自由は、福音を証しするための自由です。キリストのために生きる自由な道が、私たちの前にも開かれています。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...