2020年8月21日金曜日

2020年8月21日(コリントの信徒への手紙二3)

コリントの信徒への手紙二3
「あなたがたは、私たちが書いたキリストの手紙であって、墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人間の心に記されたものであることは、明らかです。」
今私たちが手にしているこの「コリントの信徒への手紙二」は、パウロがコリント教会に宛てて書いた「二通目」の手紙ということではありません。パウロはもっとたくさんの手紙をコリント教会に宛てて書き、コリント教会からもパウロへの手紙が何通も届いたようです。コリントの信徒への手紙一が、もうすでに一通目の手紙ではないことは読めば明らかです。ただ、今日聖書に収められている手紙一と手紙二との共通点は、どいちらもコリント教会とパウロとの関係が悪化していたであろうことが強く読み取れるということです。コリント教会の中には、パウロの使徒としての資格を疑問視する者がいました。
それで、パウロは、誰か権威ある者からの推薦状が必要だろうかという話を始めています。人間的に見れば、よく分かることです。例えばある教会が無牧になって新しい牧師を招聘しようとしたら、その新しい牧師がどういう人なのか、よく調べると思います。外面的なことはすぐに分かります。これまでは何教会にいた、卒業した神学校はどこか、そのような履歴書に書かれることを調べるのは容易でしょう。しかしそれ以上の、インターネットには書かれていないようなことを知ろうとしたら、誰かに聞いてみなくてはなりません。信頼できる別の牧師にあの牧師はどうなのだろうかと聞き、その先生が太鼓判を押して推薦してくれれば、安心して招聘の手続きを進める・・・ということになるのではないかと思います。パウロには、そういう推薦状は一つもありませんでした。
しかし、パウロは言います。「私たちの推薦状は、あなたがた自身です。」あなたがたは私が書いたキリストからの手紙だとまでパウロは言います。あなたがたがキリストと出会い、キリストを救い主として礼拝しているその事実こそ、私の使徒としての推薦状だとパウロは言います。
この言葉が、パウロとの関係が崩れていたコリント教会に宛てられたものであるという事実は重いと思います。そして、それだけに、ある人がキリストと出会い、キリストを礼拝し、教会の一員として生きるという出来事の素晴らしさも感じさせます。「私たちは皆、顔の覆いを除かれて、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに変えられていきます。これは主の霊との働きによるのです。」この主の霊が、私たちにも働いている。私たちもまた主の栄光を映すキリストの手紙にされているのです。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...