2020年8月20日木曜日

2020年8月20日(コリントの信徒への手紙二2)

コリントの信徒への手紙二2
「あなたがたが何かのことで人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かのことでその人を赦したとすれば、それは、あなたがたのために、キリストの前で赦したのです。私たちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。」
サタンがつけ込む、サタンのやり口!サタン、悪魔。私たちに働く悪の力です。改革者ルターも、サタンの働きに敏感な人であったと言います。私たちはこういう現代の科学では見えてこない悪の力に対して、決してなめてかかってはならないと思います。サタンは私たちを罪に誘い込む強烈な力を持っている。だからこそ、パウロも、ルターも、強く警戒したのでしょう。
サタンにはサタンのやり口がある。どこにつけ込むのか?私たちの、隣人の罪を赦せないという心です。自分こそは正義だと信じる私たちの素朴な確信です。自分は正しいと信じるとき、私たちはいつの間にかサタンの虜になっている。パウロはそう言います。
サタンに対抗する私たちの武器は、赦しです。そうであれば、私たちの最大のサタンに対する攻撃は、主の祈りを祈ることではないでしょうか。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」主イエスは繰り返し、私たちが隣人を赦すものであるようにとおっしゃいました。それは、私たち自身が赦してもらわなければ生きることのできない存在だからです。
「救われる人々の中でも滅びる人々の中でも、私たちは神に献げられたキリストのかぐわしい香りだからです。」罪の赦しに生きる私たちは、キリストのかぐわしい香りを放つ者にされている。赦しなどといっても、自分の心持ちや努力で赦そうと思っても、無理な話です。誰かを赦してあげようと思っても、「赦してあげる」という姿勢でいるところに真実な赦しが生まれるということもないでしょう。私たちは、ただひたすらに、キリストに赦して頂いたという事実にだけ立ちます。キリストがいなければ生きられない私であることを恥じることなく、誇りとして、神の憐れみの中に生きていきます。そのような私たちを、キリストの赦しの香りを放つ者に神はしてくださる。この奇跡は、主の祈りから始まります。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...