2020年8月6日木曜日

2020年8月6日(コリントの信徒への手紙一6)

コリントの信徒への手紙一6
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖なる霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」
私たちの体が、今や神の神殿なのだと言います。驚くべき言葉です。
キリスト教会は、神殿を持ちません。つまり、エルサレムだとかローマだとか、そういう信仰の中心地に神殿があって、そこに参拝するという信仰を持っていません。旧約の時代には神殿がありました。神殿の奥には神の箱が安置されていました。その箱の蓋は贖いの座と呼ばれ、そこから神が語りかけるとされていました。神殿は旧約の民の信仰の中心でした。イスラエルの人たちは年に三度ある大きな礼拝(祭り)の時には神殿を詣で、神を礼拝しました。
しかし、今、キリスト教会は特定の場所に神殿を持ちません。ここに行けば神に会えるという場所を持たない。その代わりに、私たちの体が神の神殿だとパウロは言うのです。驚くべき言葉です。私たちの体の内に神が宿っていてくださると言うのです。神が宿っていてくださる以上、私たちはいつ、どこにいても神と共にいます。私たちを神の神殿とするために、キリストの体という代価によって私たちは神に買い取られました。私たちは今や神のものであり、神様がご自身を現してくださる場所になったのです。
「だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」と聖書は言います。神様は私たちをご自分のものとして買い取ってくださいました。そうである以上、私たちは自由です。「私には、すべてのことが許されています。しかし、すべてのことが益になるわけではありません。私には、すべてのことが許されています。しかし、私は何事にも支配されはしません。」私たちは自由です。だからこそ、私たちはこの自由を罪を犯す機会にはしない。それは、私たちの自由がキリストの命という代価によって勝ち取られた自由だからです。私たちのこの体に神の霊が宿っていてくださるからです。だから、私たちは罪に支配されるのではなく、この体で神の栄光を現すために生きていきます。

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