2020年9月19日土曜日

2020年9月19日(テサロニケの信徒への手紙一5)

テサロニケの信徒への手紙一5
「主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるためです。ですから、あなたがたは、今そうしているように、互いに励まし合い、互いに造り上げるようにしなさい。」
パウロは新約聖書に残された手紙をたくさん書きましたが、それぞれ、教会に起こった何らかの課題に対処するために書かれました。例えばそれは割礼を巡る事柄であったり、あるいは教会の分裂や社会における身分制度をどう考えるか、性倫理のことなど、さまざまです。但しどの手紙も一般論を論じるのではなく、実際に教会に起きた出来事に対処するための手紙です。それでは、今読んでいるこの手紙は何のために書かれたのでしょうか。テサロニケの信徒への手紙一を読んで推察されることは、この教会は堕落していたということです。どういう意味で堕落していたかというと、主イエスが再び来られるというリアリティを見失って、信仰者としての節度をもった生活の形成を止めてしまっていた。そういう教会の姿がこの手紙の背景にあると考えられます。
「主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるためです。」この言葉も、教会の背景を念頭に読むと意味が深まります。主が私のために死んでくださった。その事実が私たちの生き方を方向付けます。それは、私たちが主と共に生きているからです。
主と共に生きる者の姿についてはこの手紙で再三にわたって言及されていましたが、手紙を終えるにあたって、パウロは象徴的にこのように言いました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて/神があなたがたに望んでおられることです。」美しい言葉です。しかしこれはただ美しいだけでなく、キリストを待つ者の姿として、神が美しくしてくださった者の姿です。キリストがいつ来られるのか、それは私たちには分かりません。まるで盗人のように突然やってくる。しかし、パウロは言います。「しかし、きょうだいたち、あなたがたは闇の中にいるのではありません。ですから、その日が盗人のようにあなた方を襲うことはありません。」キリストが来られる日は、光の子とされた私たちにとっては喜びの日だからです。だから、私たちはいつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝します。キリストを待ち望む者を平和の神ご自身が全く聖なる者として、霊と心と体とを完全に守ってくださることでしょう。私たちは、やがてキリストに相まみえる。その日を待ち望みつつ、今日という一日の営みをなしていきます。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...