2020年9月18日金曜日

2020年9月18日(テサロニケの信徒への手紙一4)

テサロニケの信徒への手紙一4
「きょうだいたち、眠りに就いた人たちについては、希望を持たないほかの人々にように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。それならば、神はまた同じように、イエスにあって眠りに就いた人たちを、イエスと共に導き出してくださいます。」
眠りに就いた人たちについて、希望を持ってほしい!使徒パウロは私たちに訴えます。希望がなければ、死はただ悲しむよりほかありません。死で終わってしまうことのない希望、死を超えた希望がなければ、嘆き悲しみしか残らない。しかし、私たちには死で終わってしまうことのない希望があるとパウロは言います。
イエスが死んで復活された。その事実が、私たちの揺らぐことのない希望に他ならない。なぜなら、「神はまた同じように、イエスにあって眠りに就いた人たちを、イエスと共に導き出して」くださるからです。イエスと共に導き出してくださる。それについて、続けてこのように言います。「合図の号令と、天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、続いて生き残っている私たちが共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に出会います。」私はこのラッパの音のイメージが大好きです。ヘンデルのメサイアの中にこの場面の曲があります。ラッパが鳴ります。私もできることなら、いつか礼拝にラッパを取り入れたいと願っています。ラッパの合図が鳴ったときに起こることは、すでに眠りに就いている者も生きている者も、キリストと出会うということです。主が私たちに顔と顔とを合わせて出会ってくださる。私たちはそこで先に眠りに就いた者たちとも会えるのでしょう。ただ再会を喜ぶということだけではなく、何よりの幸いは共にキリストの御前に出るということです。私たちはキリストの前に呼び出される。「こうして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。」
そして、パウロは言います。「ですから、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい。」私たちには、必ず共に主の前に導き出される日が来る。私たちの愛する者たちと、主の御前で再会することもできるでしょう。あるいは、私たちが憎んでいたり私たちを憎んでいる人とも、再会することになると思います。しかし、主の御前での再会です。新しい関係をそこで頂くことになるに違いない。大切なのは、主イエスさまに共にまみえるということです。主にあって私たちの関係も新しくして頂ける。そして、主の御前に共に導き出されるという出来事は、私たちはもうすでに主の日の礼拝の度に経験していることでもある。私たちは礼拝の時に、主にある希望を先取りしています。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...