2020年9月29日火曜日

2020年9月29日(テモテへの手紙一3)

テモテへの手紙二3
「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者は皆、迫害を受けます。一方、悪人や詐欺師は惑わし、惑わされながら、ますます悪に進んで行きます。だがあなたは、自分が学んで確信した事柄にとどまっていなさい。あなたは、それを誰から学んだかを知っており、また、自分が幼い頃から聖書に親しんできたことを知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに至る知恵を与えることができるからです。」

アメリカで人種差別の事柄が社会的な大きな問題になっています。人種差別の被害を受けて不当に殺害された人たちの名前が書かれたマスクを大坂なおみさんが着けていました。勇気ある行動だと思います。米国社会でどう受け取られていたのかは私には知るよしもありませんが、日本社会の受け止めで私がとても気になったのは、言いようのない嘲笑ムードが漂っていたことです。私たちの社会は差別が行われている現状を「現実的」と言ってそのまま受け入れてしまうところがある。黒人の側が暴力的なのがいけないのだ、と。確かに暴力を振るってしまっている人もいるでしょう。しかし圧倒的な差別への異議申し立てに対して、スポーツ選手が政治を口にするな、スポンサーに迷惑などと嘲笑い、抗議運動にはテロ組織が関わっていると言ったデマまで流すようなものもいます。
キング牧師が今いたら、何と言うだろうかと思います。日本人は、キリスト者でなくてもキング牧師が好きな人が多いと思います。教科書にも載っています。オバマ大統領が誕生したときには、キングの夢が叶ったなどと盛んにニュースが言っていました。しかし実際にはキング牧師がしたのと同じ人種差別への抵抗の姿勢を示す者を嘲笑しているというのは、やはり矛盾と言わないわけには行きません。
人種差別やそれを遠目に見ている私たちという問題だけではなく、貧富の格差や原発問題などありとあらゆるところで同じ構図だと思います。一つの問題は、私たちがある意味での「理想主義」を失ったことにあると思います。夢や幻を語る言葉が通用しないことが「現実的」だとされる。それは今の時代の精神だと思います。
聖書は、キリスト・イエスへの信仰による救いに私たちを導きます。救い、それは究極の理想です。私たちの理想の寄せ集めではありません。上から降りてきた夢であり、幻であり、約束です。私たちは救いの約束を、ただ聖書からだけ学ぶことができる。その約束された救いの世界は、これです。「狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛と若獅子は共に草を食み、小さな子どもがそれを導く。」完全なる平和の世界が来る。主イエス・キリストは、そのために十字架にかかり、世界を損ない苦しめる私たちの罪から、私たちを救ってくださったのです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...