2020年9月3日木曜日

2020年9月3日(ガラテヤの信徒への手紙3)

ガラテヤの信徒への手紙3
「ああ、愚かなガラテヤの人たち、十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前にはっきり示されたのに、誰があなたがたを惑わしたのか。あなたがたにこれだけは聞いておきたい。あなたがたが霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、信仰に聞き従ったからですか。」
ああ、愚かなガラテヤの人たち!パウロの悲痛な叫び声です。十字架につけられたキリストを見失ってしまったガラテヤ教会の人たちを必死にキリストの恵みの元に連れ戻そうと、涙ながらに訴えます。
キリストの恵みから外れてしまったというのは、他の宗教に宗旨替えしたとか、キリストを憎んでいるということではないと思います。キリストを信じているつもりでありながら、律法の行いに頼っているという事実が、十字架のキリストを見失っていることに他ならないとパウロは言います。私たちはただキリストの真実によって救われた、ただ神の恵みによってのみ救われた。それなのに、どうして自分の行いによって仕上げようとするのか、とパウロは訴えます。
パウロの訴えは、そのまま、私たちへの訴えであると思います。自分なんか偽物のクリスチャンだ、自分の信仰なんてちっぽけで価値がない、自分には聖書が言っているような立派な信仰者にはなれない、自分はあの人のようになれない、頭では分かっていても結局自分はクリスチャンらしい生き方なんてできない・・・それはすべて律法の行いに頼る言葉です。十字架にかけられたキリストを見失っています。
私たちは、私たち自身によいところがあったから救われたのでしょうか。私たちは、立派になれる素質があったから信仰に導かれたのでしょうか。私たちは、ちゃんとできるからキリストと出会い得たのでしょうか。違います。私たちは、ただキリストの恵みによって、キリストの真実によって救って頂きました。キリストが救ってくださいました。だから、自分にこだわるのは間違いです。
キリストは十字架にかけられて殺されました。木の十字架です。旧約聖書には「木に掛けられた者は皆、呪われている」と書いてあります。キリストは呪われました。呪い殺されました。キリストはご自分が呪いになって、「行い」という呪いから私たちを救ってくださったのです。
主イエス・キリストの真実が、私たちを救ってくださいました。その事実が私たちのすべてです。キリストはあなたを愛し、あなたのためにご自分を献げてくださったのです。

2024年4月19日の聖句

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