2020年10月28日水曜日

2020年10月28日(ヨハネによる福音書7:1~31)

ヨハネによる福音書7:1~31
「私の教えは、私のものではなく、私をお遣わしになった方のものである。この方の御心を行おうとする者は、私の教えが神から出たものか、私が勝手に話しているのか、分かるはずである。自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不正がない。」

主イエスの教えは、イエスをお遣わしになった父なる神様から出たものであって、不正がないと言われます。主イエスが何を教えておられるのかということについては、今日のところは、ヨハネによる福音書をこれからもよく読んでいくということに譲ります。今日は、主イエスがご自分の真実を「自分をお遣わしになった方の栄光を求める」ということで証ししておられる点に注目してみたいと思います。
主イエスは、ご自分をお遣わしになった父なる神様の栄光を求められた。その姿勢は、主イエスの歩みの中で一貫しています。栄光という言葉には「重み」という意味があります。神様の重み。日本語でも「重んじる」という言葉があります。神様を重んじ、神様の御心を尊重する。主イエスはその点において決してぶれることがありません。
私だったら、自分を重んじてほしいとすぐに思ってしまいますし、自分が輝くことを内心よしとしてしまいます。しかし、そういう心根でいると、心の中は不満で一杯になってしまいます。自分をもっと尊重してほしいと思っていれば、いつでも周りの自分への態度に何かが足りないという思ってしまいます。それは不正なことだと主イエスは言われる。その通りであると思います。自分の栄光を求める限り、不正は続く。そこから解放してくださるのは、本当に人の評価から自由にしてくださるのは、キリストをおいて他にはいません。私のために独り子を与えてくださった神の愛だけが、私を本当に自由にしてくださいます。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、自分の作曲した楽譜の最後に、いつも"SDG"とサインしたそうです。この言葉はラテン語でSOLI DEO GRORIAの頭文字で、「ただ神にのみ栄光」という意味です。バッハはただそれだけを願ってあれだけの曲を生み出した。たくさんの信仰の曲を産みだした人です。その信仰者としての秘密はそのようなところにあったのでしょう。私たちも、今日私たちがする業の最後に、SDGとサインをしましょう。もちろん、ペンをもって実際に書かなくても良い。ただ、自分がする業の中で神の栄光だけを求め、神を重んじ、神のために献げる。その信仰に生きる一日でありますように。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...