2020年10月27日火曜日

2020年10月27日(ヨハネ根による福音書6:41~71)

ヨハネによる福音書6:41~71
「よくよく言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである。私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私の内にとどまり、私もまたその人の内にとどまる。」

イエス・キリストの肉こそまことの食べ物、イエス・キリストの血こそまことの飲み物。キリストご自身がそう宣言なさいます。永遠の命に至る食べ物とは、キリストご自身の体と血だと言うのです。もちろん、聖餐のことをおっしゃっている。私たちが頂くパンと杯。それは主イエスご自身が「あなたがたのための私の体、あなたがたのための私の血」と言って弟子たちのために定め、招いてくださった食卓です。
私たちにとって、聖餐で頂くパンと杯は永遠の命を得させるための食事です。そのことを今日改めて深く心に留めたいと願います。
今年は本当に心痛むことに、これまでのように自由に聖餐を祝うことができません。秋から平日の聖餐礼拝を始めましたが、もちろん全員が来ることはできません。何よりも、主日礼拝で聖餐を祝うのとはやはり違います。聖餐は私たちの命ですから、本当に大きな痛みです。
今は、忍耐のときなのだと思います。私たちにとっては待つことを学ぶときです。そして、聖餐がどうして命の食事として成り立つのか、という急所を捉えたいと願います。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人の終わりの日に復活させる」と言われたのは、主イエス・キリストです。キリストの言葉だから、私たちはパンと杯によってキリストのお体と血を頂くことができる。聖餐は、キリストの言葉の出来事です。急所はキリストの言葉です。だからキリストの福音を語る聖書の説教を聞くことを通して、私たちは聖餐と同じ御言葉の出来事にあずかっているのです。
今、私たちは忍耐の時を過ごしています。キリストの言葉と共に。私たちに永遠の命をもたらす福音の言葉と共に。私たちは主の日に聖餐を祝うその日を待ち望んでいます。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...