2020年11月22日日曜日

2020年11月22日(ヨハネによる福音書21:15~25)

ヨハネによる福音書21:15~25
三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。」

本当に印象深い、主イエスとシモン・ペトロとの対話です。ペトロ自身間違いなくそうでしょうし読む誰もが思い起こすのは、主イエスが十字架にかけられる直前の主イエスとペトロとの対話です。あの世、イエスは言われました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願い出た。しかし、私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った。だから、あなたがた立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」するとシモンは答えます。「主よ、ご一緒になら、牢であろうと死であろうと覚悟しております。」イエスはさらに言われる。「ペトロ、言っておくが、今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言うだろう。」そして、ほんの数時間後にイエスは捕らえられ、ピラトの屋敷で裁判にかけられる。そこに潜入したペトロは、イエスが言ったとおりに、三度も重ねてイエスを知らないとその庭にいた者たちに言ったのでした。主イエスはそのときのことをなぞるようにして、三度も重ねて、「ヨハネの子シモン、私を愛しているか」と尋ねられた。
なぜ、イエスはそのようにしてペトロの傷口に塩を塗り込むようなことをなさったのか。それは、ペトロが、イエスに傷つけられることなしには癒やされることもまたないと、イエスが知っておられたからではないでしょうか。
三度目にイエスが「私を愛しているか」と言ったとき、ペトロは悲しくなりました。そして「主よ、あなたは何もかもご存じです」と言いました。そう、主イエスは、何もかもご存じなのです。ペトロのすべてを、ペトロ以上に。そういうお方が自分になお愛を問うてくれて、しかも「私の羊を飼いなさい」と言ってくださる。ペトロはそのことを知ったときに、初めて救われたのではないでしょうか。
あの夜、イエスはペトロに「私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った」と言ってくださいました。ペトロの信仰がなくならないように主イエスご自身がしてくださったことが、この時の対話です。イエスともう一度お目にかかり、イエスの愛に立ち帰り、ペトロは立ち直った。私たちも同じです。だから、私たちも兄弟のため、姉妹のために、力づけることができるのです。「私の羊を飼いなさい」と主は言われます。

2025年1月8日の聖句

神よ、私の心は整いました。 私は歌い、奏でよう。 わが魂よ、目覚めよ。(詩編108:2) 脚の不自由な男は跳ね起き、立って歩けるようになって彼らと共に神殿の境内に入り、走り回り跳び回っては、神を賛美した。(使徒3:8) 12月ごろからひどい腰痛に悩まされていました。今はずいぶん回...