2020年12月25日金曜日

2020年12月25日(ルカによる福音書2:1~20)

ルカによる福音書2:1~20
「ところが、彼らがそこにいるうちに、マリアは月が満ちて、初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである。」

主イエス・キリストはお生まれになりました!私たちはこの方を見れば分かるのです。神が生きておられることが。神が今も働いておられることが。神がこの世を愛していることが。飼い葉桶に寝かされた神の御子を見れば、私たちにも分かるのです。
マリアが産んだ子を飼い葉桶に寝かせたのは、宿屋に泊まる所がなかったからです。この「宿屋」という単語には「客間」という意味もあります。旅館業を営んでいる宿屋がどこも満室だったということではなかったのかもしれません。旅の人のために自分の客間に一夜の床を提供する人が一人もいなかったということではないかと思います。そうだとすると、宿屋を営んでいる人だけの問題、あるいは当時人口調査のためにやってきて自分の宿屋の一室を譲らなかった人の問題というには留まらなくなります。自分の住まいのほんの僅かなスペースも、お腹の大きなマリアのために提供することがないという、すべての人の冷たさの話になります。主イエスは愛の冷えた世界に来られたのです。
主イエスは一枚の布を産着にして、静かに飼い葉桶に寝ています。この乳飲み子が私たちのためのしるしです。主イエスは愛が冷えた世界に宿った神の愛そのものです。
今年はコロナの年になってしまいました。こういう大変なことがあると、私たちの心の中にあるものがむき出しになります。私たちの愛が冷えていることがあからさまになってしまったように思います。本当は昔からそうだったのですが、こういうときにはあからさまになります。主イエスが宿ったのは、そういう世界なのだと思います。しかし主イエスが飼い葉桶に寝ているからには、この方を見れば神の愛がここにあると私たちにも分かるのです。
私は今いろいろな人の顔を思い浮かべながら聖書を読んでいます。さがみ野教会の仲間たち。私の近所の人。教会に遊びに来る子どもたち。子どもたちの友達とその家族。他の教会の人たち。海外の人もいます。数限りなく、無数の顔を私たちは思い浮かべるのではないでしょうか。今あなたが思い浮かべたたくさんの顔。その誰一人として例外なく、主イエスはすべての民の救い主です。飼い葉桶に宿った神の愛の対象外という人はいません。私たちの世界が愛に冷え切ってしまったとしても、神の愛が冷えることはありえないのです。キリストがお生まれになったこと、飼い葉桶におられること、それが私たちのための神の愛のしるしなのです。

2024年4月19日の聖句

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