2020年12月26日土曜日

2020年12月26日(ルカによる福音書2:21〜40)

ルカによる福音書2:21~40
「主よ、今こそあなたはお言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
私はこの目であなたの救いを見たからです。
これは万民の前に備えられた救いで
異邦人を照らす啓示の光
あなたの民イスラエルの栄光です。」

ルカによる福音書にはたくさんの賛美歌が収められています。この数日、マリアの参加、ゼカリヤの賛歌を見ました。昨日のところにはクリスマスの夜に天使が歌った賛美歌が記録されていました。今日のところにはシメオンの賛歌があります。これもラテン語から採られた題名がつけられていて、ヌンク・ディミティスと呼ばれています。ヌンク・ディミティスは、一日の中では終課と呼ばれて、一日の終わりの夜寝る前の祈りで用いられてきた伝統があるようです。
「主よ、今こそあなたはお言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。」私はこの賛美歌が大好きです。安心して死ねる、とシメオンは言いました。なぜなら、この目で神の救いを見たから。イエスにお目にかかったから、私はいつでも死ねるとシメオンは言います。シメオンは主イエスと出会ったことで、自分の人生の目標は完成したと悟ったのです。
私たちは何のために生きているのでしょう。何をすることができれば、悔いなく死ぬことができるのでしょう。何か人から尊敬されるようなことをしたのか、何らかのかたちで名を残したのか、人の記憶に残るのか、次世代を育て上げたのか、・・・。それらはどれも尊いことです。しかし、私たちが「する」ことはどんなにすばらしくても私たちを救うことはできません。成果は必ず色あせるし、人は変わります。野に生える草のように移ろうものです。昔の人はそのことをよく知っていたので、日本語にも無常という言葉があるのだと思います。
変わらないのは、神さまだけです。私たちは昨日も、今日も、そして永遠に変わることのないイエス・キリストに出会うときに救われます。これはすべての人のための救いです。キリストは私たちの誰であっても救うために来てくださいました。ヌンク・ディミティスは聖餐の賛美歌として歌う習慣もあります。讃美歌21にも入っていて、礼拝で歌ったこともあります。キリストと出会い、キリストのお体を食べて生きる。私たちの信仰生活がそこにあります。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...