2021年4月8日木曜日

2021年4月8日(詩編102)

詩編102
主はすべてを失った者の祈りを顧み
その祈りを軽んじられませんでした。
このことは後の世代のために書き記されるべきです。
新たに創造される民は主を賛美するでしょう。
主はその聖なる高き所から目を注ぎ
天から地を見ました。
これは、主が捕らわれ人の呻きを聞いて
死に定められた子らを解き放ち
人々がシオンで主の名を
エルサレムでその賛美を語り伝えるためです。(18~22節)

1節の表題に「苦しむ人の祈り。弱り果て、主の前に嘆きを注ぎ出すときに」と書かれています。2節以降を読むと、まさにそういう祈りの言葉が書かれています。「この叫びがあなたに届きますように。苦難の日に、御顔を隠さず、私に耳を傾け、呼び求める日に、速やかに応えてください。」そして、苦しみ呻く言葉が続きます。
私は、こういう嘆きの詩編は、私たち自身の嘆きの時に本当に大きな力を持つと実感を込めて申し上げたい。自分の苦しみの日、嘆く言葉も見つからないようなときに、この詩編の言葉を朗読すると、それだけで何かが癒やされます。この場合、朗読することが大切です。声に出すことには意味があります。
そして、そのような嘆きの祈りを、神さまは決して軽んじることがありません。人間は、しばしば逆です。「すべてを失った者」を軽んじます。まるで、不幸な人と一緒にいると自分にもそれが伝染するかのようにして。罪深いことです。しかし人間の現実です。ところが神さまはそうではない。すべてを失った者の祈りを軽んじることがない。それどころか、天から呻きを聞くために目を注ぎ、耳を傾けていてくださるというのです。私たちが祈るのは、本当に慈しみに満ちた方です。
私たちの生涯は短く、私たちは弱い存在です。しかしそのような私たちの祈りを聞いてくださる方がいる、そのような私たちを軽んじないで愛してくださる方がいる。それはなんと慰めに満ちた事実でしょう。だから、私たちは安心して祈ることができるし、この方に向かって嘆き、呻くことができるのです。

2021年4月11日(詩編105)

詩編105 主に感謝し、その名を呼べ。 もろもろの民に主の業を知らせよ。 主に向かって歌い、主をほめ歌え。 すべての奇しき業を語れ。 主の聖なる名を誇れ。 主を求める者たちの心は喜べ。(1~3節) 主の聖なる名を誇れ、と言います。そして、この詩編は主なる神様がした「奇しき業」を思...