2021年4月7日水曜日

2021年4月7日(詩編101)

詩編101
慈しみと公正を私は歌い
主よ、あなたに向かってほめ歌います。
私は全き道を悟ります。
あなたはいつ、私のところに来られるのか。
私は全き心をもって
わが家の内を歩みます。(1~2節)

神に従い、慈しみと公正に生きるという信仰の表明の詩編です。全き道を悟り、そこを歩んでいくこと、神の御前に生き、神の慈しみと公正を求めること。それはとても尊い、神さまへの応答です。神を信じ、その恵みと慈しみに生かされていることを知ったとき、私たちの生き方は変革されます。神さまに喜んで頂くことを求めます。神を愛し、神に仕えて生きる新しい人生を生き始めます。
「私は邪悪なことを目の前に置かず、主に背く行いを憎みます」と言っています。邪悪なこと、すなわち神さまを無視する生き方、神に与えられた隣人を蔑ろにした利己心、そういうものを「目の前に置かず」と言います。目の前に置かないということが大事なのだと思います。例えば5節では「隣人をそしる」ということが考えられている。人の悪口ほど楽しいことはない。そういう言葉が口に上ると後で罪悪感を覚えるが、その時は快感です。陰口だけには限らず、私たちは弱い存在です。誘惑に弱く、利己的です。
だから、主イエス様は「我らを試みに遭わせず、悪より救い出し給え」と祈ることを教えてくださいました。主イエスは、私たちが目の前の悪に打ち勝つ強靱な精神力をもつようにとはお求めになりませんでした。神さまに「助けてください」と祈ることを教えてくださいました。神さまに誘惑を退けてください、と祈るように主イエスは言ってくださったのです。
邪悪なことから話した目をどこに向けるのか?この詩編は言います、「私はこの地の誠実な者に目を向けます」。誠実に生きている人に目を向け、その生き方を真似るというのは、信仰生活の具体的なあり方です。神に従う誠実な人、真摯に神と隣人との前に生きている人。その歩みに倣って、私も神と隣人を愛する者にならせてください。そう祈る一日でありたいと願います。

2021年4月11日(詩編105)

詩編105 主に感謝し、その名を呼べ。 もろもろの民に主の業を知らせよ。 主に向かって歌い、主をほめ歌え。 すべての奇しき業を語れ。 主の聖なる名を誇れ。 主を求める者たちの心は喜べ。(1~3節) 主の聖なる名を誇れ、と言います。そして、この詩編は主なる神様がした「奇しき業」を思...