2021年5月15日土曜日

2021年5月14日(詩編119:161〜168)

詩編119:161~168(シン)
日に七度あなたを賛美します。
あなたの正しい裁きのゆえに。
あなたの律法を愛する者には豊かな平安があり
この人たちをつまずかせるものはありません。(164~165節)

日に七度、主を賛美する生活。私たちの毎日の生活に取り入れたい習慣です。一日に七度というとかなりの回数です。折あるごとに神さまに心を向け、賛美を献げる。実際には忙しくて、気付くと一日が終わっているかも知れません。ついうっかりということも多いかも知れません。しかし、フトしたときに心の中で静かに神さまを賛美して新しい時間を過ごしていくのは、素敵なことです。
そこで心を向けるのは、神さまの正しさであり、それに従う者の幸いです。私たちには自分の正しさを決める独自の基準があり、お互いにそれが衝突し合います。自分の正しさを手放して、「あなたの律法」すなわち神さまの御言葉に自分の基準を預けるとき、私たちは平安に生きることができる。それがこの詩編の確信です。
166節ではこのようにも言っています。
「主よ、私はあなたの救いを望み
あなたの戒めに従います。」
神さまが救ってくださるのを待ち望む。自分で最後の解決を付けなくて良いのです。神さまに救いを求めて祈っていい。それも、自分の手で握りしめる「正しさ」を手放すということの一つであると思います。
主イエス・キリストは、あのゲツセマネの園で祈りました。「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の望むようにではなく、御心のままに。」自分の基準を神さまに預ける祈りではないでしょうか。ここにこそ平安があると聖書は言います。そして、このキリストの祈りこそが、究極的な賛美であると思います。神さまへの信頼と愛。神さまご自身の愛こそが何よりもの確かであることを、私たちは信頼し、今日も賛美の内に一日を始めます。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...