2021年5月14日金曜日

2021年5月14日(詩編119:153〜160)

詩編119:153~160(レシュ)
悪しき者には救いは遠い。
あなたの掟を求めないからです。
主よ、あなたの憐れみは深い。
あなたの裁きにふさわしく私を生かしてください。(155~156節)

「悪しき者に救いは遠い」という言葉は、二通りの理解が可能であると思います。一つには、悪しき者、神さまに逆らう者を神さまは救うはずがない。神の愛を受けるにふさわしくない。そのようなものは救いから遠い・・・。一般的に言って「宗教」というもののイメージは、そういう教えを広めている、と思われているかも知れません。
しかし、それとは別の理解をすることもできます。すなわち、ここでは「悪しき者には救いは遠い。あなたの戒めを求めないからです」と言っていますが、この「あなたの戒めを求める」ということを救いの条件と考えるのではなく、救われた者の応答と捉えるという道です。神が救ってくださっていたことに気付いた、私をも愛してくださっていることが分かった。だからこそ、神の掟を求めていきたい。そう願っている。
この理解を後押しするのは、156節です。「主よ、あなたの憐れみは深い」と言います。神さまの言葉、その掟、裁き、それらはすべて神の憐れみの深さを私たちに教えます。「憐れみ」はご褒美ではありません。もしも条件付きだとしたら、それは憐れみの名に値しない。神さまは、私たちがちゃんと掟を守ったご褒美として救ってくださるのではありません。私たちはただただ、ひたすら、神さまの憐れみにすがるだけです。神さまの裁きにすがり、神さまがご自分の憐れみにふさわしく振る舞ってくださることを求める。そう祈ったときに私たちが知るのは、私たちが神さまを求めるよりも先に、神さまは私たちを愛し、憐れみ、私たちを救ってくださっていた、という驚くべき事実です。

だから、私たちはこう祈ります。
「私がいかにあなたの諭しを愛しているか
  見ていてください。
主よ、あなたの慈しみにふさわしく
  私を生かしてください」(159節)。
今日も、私たちは喜んで主を愛し、主に祈りつつ一日を歩んでいきます。

2024年4月18日の聖句

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