2021年7月21日水曜日

2021年7月21日(コヘレトの言葉1:1~11)

コヘレトの言葉1:1~11
コヘレトは言う。
空の空
空の空、一切は空である。(2節)

コヘレトの言葉は旧約聖書の中でもある独特の響きを持っているように感じさせます。特に冒頭の「空の空、一切は空である」という言葉が、その印象を強くしているのではないでしょうか。
「空」と翻訳されているこの言葉はヘベルという単語です。霞とか空しさを表し、偶像の神々を空しいものと表現するときにも使われることがあります。他にも学者たちは無益、空虚、儚さ、無意味、無、不条理、皮肉、神秘、謎など、いろいろな訳語を当てているようです。東洋的な哲学、謂わば色即是空とか無常とか、そういう印象を与えます。あるいはこの「ヘベル」には、他にも、時間的な短さを表す場合もあります。「すべてはつかの間のこと、僅かの間のことに過ぎない。人間の営みは短い間のことに過ぎない。」そういったことを訴えているということでもあろうと思います。
そのように考えて3節以下を読んでみると、話がつながると思います。太陽の下、つまり現世、私たちが生きているこの世界での営みは、永遠の意味を持つ益を生み出すことはできない。一代、また一代と続く営みはその世代のことであって、大地の営みと比べたときに小さなものに過ぎない。5から7節も自然世界の動きについて語っていますが、世界の営みは私たちのスケールを越えて流転し、巡り巡る大きな営みです。それに対して、8節では、人は小さく、疲れ、語り尽くすことも目ですべてを見ることも、耳で聞き尽くして満足することもできない、と言います。私たちにも、自然世界そのものにも、この世界の営みを完成させることはできません。完成どころか「すでにあったことはこれからもあり、すでに行われたことはこれからも行われる」のであって「新しいことは何一つない」。人間の営みに新しさなどはないのです。
コヘレトの言葉は、私たちの営みの小ささを思わせます。私たちがしていることなど、小さく、けし粒のような、あるいはほとんど無きに等しいものです。それとは関係なく世界は進んで行く。今日の3から7節の言葉は創世記8:22とよく似ています。「地の続くかぎり、種まきと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜、これらがやむことはない。」洪水の後、神がもはやこのように地を滅ぼすことをしないとご自分に誓われた言葉、地の営みへの祝福の言葉です。私たちはこの世界の大きな営みに何一つ益し得ないような小さな存在であり、私とは関係なく世界は続きます。それは神の手の中にこの世界が存在しているからです。私は無きに等しい小さな存在ですが、神さまの手はこの世界を包む大きな手です。私という存在の短さ、私の営みは空にすぎない。その空であることを「空しさ」とするのか、神さまの祝福を頂く「開き」とするのか。それが神さまの御前にある私の信仰者としてのあり方への問いなのではないでしょうか。

2021年8月4日(コヘレトの言葉8:1〜17)

コヘレトの言葉8:1~17 地上に起こる空なることがある。 悪しき者にふさわしい報いを正しき者が受け 正しき者にふさわしい報いを悪しき者が受ける。 私は、これも空であると言おう。(14節) 私は神のすべての業を見た。太陽の下で行われる業を人は見極めることはできない。人を探し求めよ...