2021年7月22日木曜日

2021年7月22日(コヘレトの言葉1:12~18)

コヘレトの言葉1:12~18
知恵が深まれば、悩みも深まり
知識が増せば、痛みも増す。(18節)

1節でコヘレトは「ダビデの子」と言っていますし、12節では「私コヘレトは、エルサレムでイスラエルの王であった」とされています。どちらもダビデ王の息子であるソロモン王をほのめかす言い方になっています。確かにソロモンは知恵ある王として名を残しています。ソロモンが王として即位した夜、彼は神に神の民を治め、善と悪をわきまえることができるように「聞き分ける心」を与えてください、と祈ります(列下3:8)。また異邦の国シェバの女王はソロモンの名声を聞き、知恵比べを挑みます(列下10:1)。ソロモンの知恵は名高く、知恵は伝統的にソロモンに帰せられています。
ただ、コヘレトの言葉の作者がソロモンなのかどうかははっきりしません。「子」という言葉には子孫という意味もありますし、コヘレトの言葉の持つ言語的・思想的特徴がソロモンの時代とはかなり異なっているからです。しかしそれでもやはりこの書はソロモンに知恵を帰しているし、ソロモンのすばらしい知恵や王としての繁栄を考えながらコヘレトの言葉を読むことはとても重要であると思います。
「天の下で起こるあらゆることを、知恵によって探求しようと心を尽くした」と言います。ところがそれは「神が、人の子らに与えて労苦させるつらい務めであった」と言うのです。さらに、太陽の下、つまりこの現世で行われるあらゆる業を見たが「すべては空であり、風を追うようなことであった」とも言います。そして「私は、かつてエルサレムにいた誰よりも偉大になり、多くの知恵を得た」が、「知恵を一心に知ろうとし、また無知と愚かさを知ろうとしたが、これもまた風を追うようなことだと悟った」と言います。結論としては「知恵が深まれば、悩みも深まり、知識が増せば、痛みも増す」です。
「風を追う」という言葉が二度繰り返されています。この「追う」という言葉は「羊を飼う」という意味でも使います。羊を飼い、世話をし、養う。羊飼いは王の務めを象徴的に表す言葉でもあります。しかし知恵や愚かさを追求しても、羊ではなく風を追うようなものであって、完成することも満たされることもなかった。それは神さまに属することであった。それがコヘレトの言葉の基本的なスタンスです。コヘレトは人間の知恵の限界を知っています。それは私たちが今日忘れてしまっていることなのかも知れません。

2021年8月4日(コヘレトの言葉8:1〜17)

コヘレトの言葉8:1~17 地上に起こる空なることがある。 悪しき者にふさわしい報いを正しき者が受け 正しき者にふさわしい報いを悪しき者が受ける。 私は、これも空であると言おう。(14節) 私は神のすべての業を見た。太陽の下で行われる業を人は見極めることはできない。人を探し求めよ...