2021年7月2日金曜日

2021年7月2日(箴言13)

詩編13
富んでいると見せて、無一物の者がおり
貧しいと見せて、大きな財産を持つ者がいる。(7節)

私はこの言葉を読んで、使徒パウロの書いたコリントの信徒への手紙二の1節を思い出しました。パウロが自分の使徒としてのあり方について語っているところです。パウロは、基本的に、この手紙の受け手であるコリント教会とあまりうまくいっていませんでした。パウロがキリストの福音を宣べ伝えたことで始まった教会ですが、その後別の指導者がやって来て、キリストの福音とは似て非なるものを宣伝して回ったのです。もっと強く、もっと豊かに、もっとこの世で礼賛される成功を得る。煎じ詰めて言えばそういう内容だっと推測されます。それでパウロはコリント教会に度々手紙を送っていましたが、その中でこのように言っています。
「私たちは人を欺いているようでいて、真実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかけているようでいて、こうして生きており、懲らしめを受けているようでいて、殺されず、悲しんでいるようでいて、常に喜び、貧しいようでいて、多くの人を富ませ、何も持たないようでいて、すべてのものを所有しています。」
私はこの言葉が大好きです。成功を約束する福音に比べれば、パウロや彼の伝える福音は貧しくて弱々しく、あまり魅力的ではありませんでした。十字架にかかった方が神の子、救い主だなんて、弱虫の信仰です。パウロ自身も迫害され、ユダヤ人からは非難され、つまはじきにされていました。ところが、パウロは言います。悲しんでいるようでいて常に喜んでいる私は、貧しいようであって、実は多くの人を富ませている。すべてのものを所有している!実にキリストの福音を宣べ伝えることで彼は無一物になりましたが、何よりもすばらしい宝をたくさんの人に届けたのです。
このパウロの姿は、箴言が言っていることのある究極的な姿を現しているのではないでしょうか。
「富んでいると見せて、無一物の者がおり
貧しいと見せて、大きな財産を持つ者がいる。」
富んでいるように見えて実は貧しい人とは、誰なのでしょうか。貧しく無一物のように見えて本当は富んでいる者とは誰なのでしょうか。私たちを救ってくださる神の子は、私たちのために弱く、貧しくなってくださった方なのです。

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