2021年7月3日土曜日

2021年7月3日(箴言14)

箴言14
心の堕落した者は自らの歩みに満足する。
善良な人は自分自身に満足する。
思慮なき者は何事も信じ込む。
賢い人は自らの歩みを見極める。(13から15節)

「心の堕落した者は自らの歩みに満足する」という言葉に、ギクリとしてしまいました。ここは注意深く読む必要があると思います。というのも、この節にはとてもよく似た言葉が二つ続いているのです。
「心の堕落した者は自らの歩みに満足する。
善良な人は自分自身に満足する。」
自らの歩みに満足する心の堕落した者と、自分自身に満足する善良な人。よく似ています。ほとんど同じような感じがします。違うのは、自らの歩みに満足するのか、自分自身に満足するのか、その点だけです。
自らの歩みに満足するというのは、恐らく、これまで自分がどう生きてきたか、満足するに足る成果を残してきたのか、他と比べてどれだけ優れているのか、そういったことが基準になっている、ということであろうと思います。自分の歩みの成果を眺めて満足するならば、神さまが入る余地は残されていません。
しかし他方は、自分自身に満足すると言っています。恐らく次の節にある「賢い人は自らの歩みを見極める」というのと無関係ではないと思います。自分の歩みを真摯に見極めるならば、多くの場合もはや誇ることはできなくなってしまうのではないでしょうか。しかし、誇り得るところの一つもない自分だけれども、そんな自分自身を誇ることができる。
使徒パウロは言います。「このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとしています。苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです。この希望が失望に終わることはありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」このキリストは、私たちが罪人であったときに、私たちの罪のために死んでくださいました。このキリストに示された神の愛を、私たちは誇りにしています。だから、自分自身に満足します。神が愛してくださっている私に、満足するのです。

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