2021年8月3日火曜日

2021年8月3日(コヘレトの言葉7:23〜29)

コヘレトの言葉7:23~29
ただし、見よ、これを私は見いだした。
神は人間をまっすぐに造ったのに
人間はさまざまな策略を練ろうとするのだ。(29節)

神は、人間をまっすぐに造った。これが聖書の基本的な人間観です。そもそも人間はまっすぐなもの、良いものとして造られた。「私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです」(エフェソ2:10)。それなのに、まっすぐに造られたはずの人間がさまざまな策略を練ろうとし、その策略のためにさかさまな者になってしまっている。コヘレトは人間が自滅的に生み出した悲惨をつぶさに見てきたのです。
私はこの言葉を読んで、ハイデルベルク信仰問答の言葉を思い出しました。ハイデルベルク信仰問答では、聖書の中で最も大切な戒めは、主イエスが教えてくださった神への愛と隣人への愛、すなわち「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉であると言います。ところが、私たちは「生まれつき、神と隣り人とを憎む傾向にある」、愛し得ない現実があるといいます。そこでこのように問います。「神が人間を、そんなに悪く、さかさまなものに、お造りになったのでしょうか。」私は今日のコヘレトの言葉を読んで、この「さかさまなもの」という言葉を思い出しました。生まれつき神を愛することにも隣人を愛することにも失敗し続けてきた私は、そもそも神にさかさまにつくられたのか?愛に生きることなんて最初から不可能な悪い存在なのか?ハイデルベルク信仰問答はこう答えます。「いいえ、神は、人間を、よいもの、つまり、まことにご自身の姿に似せて、正しい聖いものに、お造りになったのでありますから、人間は、神を、自分の造り主として正しく知り、心から愛し、神とともに永遠の祝福の中に生き、神をほめたたえるようにしてくださっているのであります。」そしてそのためにこそイエス・キリストが来てくださり、十字架にかかってくださったのだという話をしていきます。
神さまは私たちをまっすぐに造ってくださいました。良いもの、神のかたちに造ってくださいました。私たちが神に造られた者として、まさに「私らしく」生きるために、キリストが私たちのところへ来て、十字架へと進んでくださったのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...