2021年9月26日日曜日

2021年9月26日の聖句

主は目ない人の目を開く。(詩編146:8)
あなたがたの心の目が照らされ、神の招きによる希望がどのようなものか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているかを悟ることができますように。(エフェソ1:18)

主日礼拝のプログラムに「罪の告白と照明を求める祈り」というものがあります。二つの祈りが組み合わされています。罪の告白の祈り、そして照明を求める祈り。以前さがみ野教会では別々の祈りとして献げられていましたが、今は一つの祈りになっています。
照明を求める祈りというのは、初めて聞いた人には意味がよく分かりにくいかも知れません。もう少し正確に言うと「聖霊の照明を求める祈り」ということになります。聖霊というのは、神の霊。神様ご自身の私たちの内面に働く力は、聖霊なる神さまの力です。その聖霊なる神さまが私たちの照明になる。照明というのは、電気の照明と同じ意味です。英語で言えばイルミネーション。聖霊が私たちの心を照らして、明るくしてくださいますように、という祈りです。「御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます」(詩編119:130)という、御言葉の光を待ち望む祈り。すなわち、聖書の御言葉がよく分かるように私の心を照らしてくださいという祈り、それが照明を求める祈りです。
「主は見えない人の目を開く」と御言葉は言います。私たちの目が見えなくなってしまうのは、なぜなのか。それは、私たちの罪が目を見えなくしているからです。神さまの光の中で、私たちの目が曇ってしまっていることが顕わになる。神さまにこの目の曇りを晴らし、私たちの目に光を指して頂かなくては、私たちは見えません。だから、罪の告白と照明を求める祈りが一つの祈りとして献げられています。
今、さがみ野教会では主日礼拝の説教を動画にして配信しています。この状況下で礼拝堂に来られない方のために、動画を作っている。本来は礼拝全体を配信すべきであるのかも知れませんが、現在は一部分だけにとどめています。ただ大切にしていることは、説教だけではなく、その直前にあるこの祈りを収録するようにしていることです。大切な祈りだからです。私たちの一週間も、主なる神様に御言葉の光を求め、神さまご自身の霊の照明によって照らして頂くものでありますように。わたしの目を開いてくださいと祈りつつ、新しい日々への希望を頂きていきたいです。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...