これらの日の後に、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである ー主の言葉ー 私の律法を彼らの心に与え、その意味を書き記す。そして私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。(エレミヤ31:33)
天と地は過ぎゆきます。しかし私の言葉は決して過ぎ去りません。(ルカ21:33)
「天と地は過ぎゆきます。」私たちからしたら、何があってもこれだけは残ると思われるものの代名詞のような、大地や天の大空。それもやがて過ぎゆく。終わりの時が来る。私たちの時間のスケールではそれがいつなのかは計り知れません。しかし、どんなものであっても必ず終わりが来ることは確かです。どんなに確かだと思われるものであっても、必ず終わりの時が来る。「しかし私の言葉は過ぎ去りません」と主イエス・キリストは言われます。キリストの言葉は決して滅びることがないのです。「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、私たちの神の言葉はとこしえに立つ(イザヤ40:8)」のです。
聖歌の中に「とおきくにや」という讃美歌があります。こういう歌詞です。
天と地は過ぎゆきます。しかし私の言葉は決して過ぎ去りません。(ルカ21:33)
「天と地は過ぎゆきます。」私たちからしたら、何があってもこれだけは残ると思われるものの代名詞のような、大地や天の大空。それもやがて過ぎゆく。終わりの時が来る。私たちの時間のスケールではそれがいつなのかは計り知れません。しかし、どんなものであっても必ず終わりが来ることは確かです。どんなに確かだと思われるものであっても、必ず終わりの時が来る。「しかし私の言葉は過ぎ去りません」と主イエス・キリストは言われます。キリストの言葉は決して滅びることがないのです。「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、私たちの神の言葉はとこしえに立つ(イザヤ40:8)」のです。
聖歌の中に「とおきくにや」という讃美歌があります。こういう歌詞です。
遠き国や海の果て いずこにすむ民も見よ
慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり
慰めもて汝がために 慰めもて我がために
揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり
慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり
慰めもて汝がために 慰めもて我がために
揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり
私はこの歌がとても好きです。この地は揺れ動く。私も揺れ動くし、変わってしまうし、確かなところは一つもない。しかし、主の十字架は揺らぐことがない。主の十字架は慰め深く輝き続けている。この地を、十字架が支えている。
キリストの十字架の言葉が私たちを助け、支え、慰めます。「私の律法を彼らの心に与え、その意味を書き記す。そして私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」と主なる神様は言われます。この「主の律法」は、キリストの御言葉と言い換えても差し支えないでしょう。私たちの心に十字架の言葉を書き込んでくださる。揺れ動く私をキリストの十字架によって立たせてくださる。こうして、私たちは神の民として生きることができる。
私たちは自分も、大地も、天も、何もかもが不安定で、不確かで、揺れ動いていても、キリストの十字架の確かさによって、キリストの御言葉の確かさによって、立ち、生きることができるのです。
キリストの十字架の言葉が私たちを助け、支え、慰めます。「私の律法を彼らの心に与え、その意味を書き記す。そして私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」と主なる神様は言われます。この「主の律法」は、キリストの御言葉と言い換えても差し支えないでしょう。私たちの心に十字架の言葉を書き込んでくださる。揺れ動く私をキリストの十字架によって立たせてくださる。こうして、私たちは神の民として生きることができる。
私たちは自分も、大地も、天も、何もかもが不安定で、不確かで、揺れ動いていても、キリストの十字架の確かさによって、キリストの御言葉の確かさによって、立ち、生きることができるのです。