2021年10月10日日曜日

2021年10月10日の聖句

ナアマンは言った:僕(しもべ)はこれからはもう、主以外の神々に焼き尽くす献げ物やいけにえを献げません。(列王記下5:17)
兄弟たち、神の憐れみにより勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生きた献げ物として献げなさい。それが理にかなった礼拝です。(ローマ12:1)

ナアマンは外国の高官でしたが、皮膚病に苦しんでいました。どうしても治らなかった。それで主なる神様にいやして頂こうと、イスラエルの預言者のところへやって来たのです。いろいろなことがありましたが最終的にいやされ、主なる神様を信じるに至りました。それで言ったのが、今日の御言葉です。
「僕(しもべ)はこれからはもう、主以外の神々に焼き尽くす献げ物やいけにえを献げません。」
これは主なる神様と出会い、この方を愛した人の言葉です。新しい宗教に帰依して新しい戒律に縛られるようになったという話ではありません。この人は主なる神さまと出会った。主の愛に触れた。それで、主を信じた。だから、生き方が変わったのです。
神さまは私たちの愛や真心を求めておられます。使徒パウロは言います。「兄弟たち、神の憐れみにより勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生きた献げ物として献げなさい。それが理にかなった礼拝です。」自分の体を、神に喜ばれる聖なる生きた献げ物として献げる。主なる神様を愛し、自分自身を献げる。パウロ自身がそういう人です。この人もキリストと出会い、その愛に触れて、人生が変わりました。まったく新しい人になりました。だから、私と出会ってくださったキリストにわが身を献げたのです。主イエス・キリストへの愛に生きるようになりました。
私たちが今日神さまに祈る祈りが、神さまへのまっすぐな愛を献げるものでありますように。私たちの賛美が、私たちの献身が、何よりも先ず神さまへの純真な愛の献げ物でありますように。

2024年4月16日の聖句

私の神である主は、私の闇を光となしてくださる。(詩編18:29) これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79) 主なる神さまの憐れみの心によって。これが...