2021年10月15日金曜日

2021年10月15日の聖句

あなたの隣人を虐げてはならない。(レビ19:13)
イエスは言われる:人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。(ルカ6:31)

今朝の旧約聖書の御言葉の続きにはこのように書いてあります。「あなたは隣人を虐げてはならない。奪い取ってはならない。雇い人の労賃の支払いを翌朝まで延ばしてはならない。耳の聞こえぬ者を悪く言ったり、目の見えぬ者の前に障害物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。」ここに書いてあることは、どれも否定的な命令形です。全部「~するな」「~してはならない」という否定形の表現になっています。隣人を虐げない、奪い取らないなど、隣人を愛するとはどういうことなのかをしてはならないことを例示することで示しています。
しかし、主イエスは違うのです。「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」キリストはそう言われます。これは否定的な命令ではなく、肯定的な命令です。「しなさい」という肯定形の表現をしています。隣人を愛するとは、あなたが人にしてもらいたいと思うことを人にすることだ、と主イエスは言われます。
ここに主イエスと旧約聖書との決定的な差があるのだと思います。主イエスは愛するとは何なのかを積極的に知っておられるのです。ローマの信徒への手紙にはこのような言葉があります。「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。」この手紙を書いた使徒パウロは、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉を主イエスがことのほか重んじたことを知っていたに違いありません。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という掟は十戒にもありますし、およそどういう社会でも犯してはならないことであると思います。しかしどんな掟も、否定的なかたちの命令に過ぎない。だから「隣人を自分のように愛しなさい」というキリストの命令こそが、すべての掟や戒めを包括するのです。
「人にしてもらいたいことを、人にもしなさい。」キリストこそがそうしてくださいました。そしてキリストに愛されたたくさんの人が私のためにそうしてくれました。私も、そういう愛の人として歩みたい。そう祈りつつ、今日一日の歩みを始めます。

2024年4月26日の聖句

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