2022年1月23日日曜日

2022年1月23日の聖句

私はいのちの限り、主に向かって歌い、生きるかぎり、私の神をたたえます。(詩編104:33)
あなたがたの中に苦しんでいる人があれば祈りなさい。気分が高揚している人があれば詩編を歌いなさい。(ヤコブ5:13)

今日の新約聖書の御言葉を読んで、私は少しびっくりしてしまいました。私が覚えていた言葉遣いと、ずいぶんと違う翻訳をしていたからです。(今使っている『日々の聖句』は、最近では主に新共同訳を参照しながらも自由に独自の翻訳を取り入れているようです。『日々の聖句』の原文のドイツ語版の聖書翻訳の響きを大切にしたいそうです。)新共同訳では、今朝の箇所はこのように訳しています。
「あなたがたの中の苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」
「喜んでいる人は」というのと「気分が高揚している人」というのではずいぶん印象が違うような気がします。しかし喜べば気分が高揚しているということですから、結局は同じことだとも言えそうです。しかしいずれにしても、良い訳だと思いました。聖書は、私たちの感情の動きを大切にしているのだと思います。気分が高揚したり、沈み込んだり、私たちの心はいろいろな動きをします。もしも苦しんでいるなら祈ったらいい、と聖書は言います。逆に喜んでいて気分が高揚しているなら、その心を神さまに向けて詩編によって神を賛美すると良い、と言うのです。
私はこの御言葉を読んで、よく外国から来たスポーツ選手が野球でホームランを打ったり、サッカーでゴールを決めたりしたときに祈っている姿を思い出しました。喜びを爆発させるとき、ただ嬉しいというだけではなくて神に祈る。すばらしいことです。私たちも感情が動いたその時に神を賛美したり、苦しいときに神さま助けてと祈ったり、自分の心の動きを神さまに委ねることが大切なのではないでしょうか。
「私はいのちの限り、主に向かって歌い、生きるかぎり、私の神をたたえます。」この詩編を歌った旧約の信仰者は、とても喜んでいたはずです。悲しい顔をしながら口にしたとは思えません。私たちが日々味わっているような苦しみや悩みも経験していたはずです。涙を流すこともあったはずです。そんなどこにでもいる普通の心を持った人間が、心を高揚させながら神を賛美し、神に祈り、喜びも悲しみも神さまに打ち明けて生きていく。その姿を神さまは必ずお喜びになると私は信じています。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...