2022年4月19日火曜日

2022年4月19日の聖句

あなたに向かって、私は手を伸べ広げ、私のたましいは乾ききった地のように、あなたを渇望します。(詩編143:6)
渇いている者は誰でも来なさい。欲しい者は、命の水を、価なしに受け取りなさい。(黙示録22:17)

主イエス・キリストは私たちの渇きを誰よりもよく知っていてくださって、私たちを招いておられます。「渇いている者は誰でも来なさい。」この方は十字架の上で「渇く」とおっしゃいました。渇きを知っておられる方です。サマリアの井戸端でも渇き、しかも汲む者がないという失望の状況をも嘗めながら、私たちの渇きをよく知っておられます。肉体の渇きも、魂の渇きも。誰よりも渇くことを知っている方が、私たちを招いておられます。「渇いている者は誰でも来なさい。」
古代教会の代表的な指導者であるアウグスティヌスは、若いころは放埒を重ねて生きていました。渇きを満たすために欲望を満たそうとして生きていた。彼の母はとても信仰深い人でしたが、青年アウグスティヌス自身はマニ教という異教に傾倒し、しかもますます渇いて放縦にのめり込んでいった。やがて回心してキリスト者となり、司教となったアウグスティヌスが、自分の道を振り返って『告白』という本を書いています。その冒頭に彼はとても有名な文章を書きました。「あなたは人間を呼び起こして、あなたをほめたたえることをよろこびとされる。あなたは、わたしたちをあなたに向けて造られ、わたしたちの心は、あなたのうちに安らうまでは安んじないからである。主よ、どうかわたしに、知らせ悟らせてください。あなたを呼び求めることとあなたをほめたたえることと、いずれが先であるかを。・・・主よ、わたしはあなたを呼び求めながら、あなたをたずね、あなたを信じながら、あなたを呼び求めよう。」
主イエス・キリストが与える命の水によって、私たちは生きることができる。私たちの渇ききった魂は、主イエス・キリストによってしか癒やされないからです。主イエスは、私たちに何の価もなしに飲ませてくださいます。私たちが何も持っていなくても、命を得させてくださいます。このお方が、今日も、新しく私たちを招いてくださっています。「渇いている者は誰でも来なさい。欲しい者は、命の水を、価なしに受け取りなさい。」キリストの招きに、今、応えましょう。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...