2022年4月27日水曜日

2022年4月27日の聖句

あなたがたが今日までしてきたように、主に、あなたがたの神に忠実であれ。(ヨシュア23:8)
何事かを自分のしたことと考える資格は、私たちにはありません。私たちの資格は神からのものです。(2コリント3:5)

「責任」という言葉は英語でresponsibilityと言いますが、この言葉はrespondereというラテン語から生まれたそうです。「応答する」という意味です。責任とは応答すること。何に応答するのか?私たちにとっては、何よりも神への応答です。神が私たちに語りかけ、呼びかけ、それに私たちは応答する。私たちが何事かをなしたとしたら、それはただ神の呼びかけに応答した、ということだけです。
「何事かを自分のしたことと考える資格は、私たちにはありません。私たちの資格は神からのものです。」だから、私たちは然りには然りと言い、否には否と言い、ただ神の僕としてしなければならないことをします。神が私たちを呼んでおられます。私たちを、私たちの生きるべき場所へと神が遣わし、神が出会うべき隣人と出会わせ、そこで私たちが神に仕えることを期待しておられる。私たちはそのことを信じて、今日も神さまに仕えていきます。それが私たちの「責任」ではないでしょうか。
私たちは、必ず何かの僕になっているのではないかと思います。お金の僕になればお金に仕えることになるし、世間体の僕になれば世間体をよくするために生きることになります。しかし私たちは神の僕です。私たちを呼ぶ声は巷に溢れていますが、羊が羊飼いの声を知っているように、私たちは神の声に従う。聖書は「あなたがたが今日までしてきたように、主に、あなたがたの神に忠実であれ」と言います。本当にありがたいことに「今日までしてきたように」と言ってくれています。私たちの思いを超えて、神さまは私たちが今日まで神に仕えてきたと見てくださっています。恐れ多いことです。しかし、大切なのは変に自己卑下的な謙遜をすることではなく、聖書が言うとおり、今日までしたきたようにこれからも神に仕えることなのだと思います。
私たちのために僕になってくださった主イエス・キリストに仕え、神さまの呼びかけに応えるために、今日、私たちに新しい命が与えられました。

2025年4月5日の聖句

主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高めます。(サムエル上2:7) あなたがた一人ひとりに言います。分を超えて自らを買いかぶったり過信したりしてはなりません。むしろ冷静な自己評価に努めなさい。そうして、それぞれが神の各自に対してお定めになったように、また信仰の基準にふさわしいよ...