2022年6月11日土曜日

2022年6月11日の聖句

終わりの日には、どの国の民も他の民に向かって剣を上げることはなく、もはや戦いを学ぶこともない。(イザヤ2:2,4)
兵士たちはヨハネに尋ねて、「では、私たちはどうすべきなのですか」と言った。するとヨハネは彼らに、「誰に対しても暴力や不正を働くな。自分の給料で満足せよ」と言った。(ルカ3:14)

聖書は私たちに希望を語りかけます。「終わりの日には、どの国の民も他の民に向かって剣を上げることはなく、もはや戦いを学ぶこともない。」今も私たちの世界には戦争が続き、戦火で理不尽な苦しみを強いられている人がたくさんいます。ウクライナでの戦争も、アフガニスタンやミャンマーに代表される圧政にも私たちは心を痛めますし、私たちが迂闊にも知らないたくさんの理不尽な苦しみがある。一体どうやったら解決するのか、私たちには本当に分かりません。テレビやインターネットでは好き勝手なことを言っていますが、私たちには知らされていないいろいろな事情や思惑もあるのでしょう。そんなことを考えたら、ますます途方に暮れます。私たちの国だって、同じだと思います。私たちが知らないだけで、理不尽な苦しみを強いられている人や、社会構造的に踏みつけにされている人もたくさんいるに違いない。私たちが気づかないのは、踏んでいる側だからなのかも知れません。
聖書の語りかける希望の声に、今、耳を傾けましょう。「終わりの日には、どの国の民も他の民に向かって剣を上げることはなく、もはや戦いを学ぶこともない。」だからこそ、私たちは主イエスが教えてくださったとおりに「御国を来たらせたまえ」と祈ります。私たちがもはや戦うことを学ばない終わりの日は、神さまが実現してくださるのでなければ到底実現しようがないからです。それほどまでに争いを好む私たちの罪は深い。
しかし、それでもなお、聖書は私たちに生き方の方向転換を求めます。「兵士たちはヨハネに尋ねて、『では、私たちはどうすべきなのですか』と言った。するとヨハネは彼らに、『誰に対しても暴力や不正を働くな。自分の給料で満足せよ』と言った。」兵士たちは、力をもっている者の代表です。彼らに対して洗礼者ヨハネは暴力や不正を働くな、と言います。かえって自分の給料(与えられた分)で満足せよ、と。もしも私たちが平和に生きたいと願い、その方向に行きたいと試みるならば、それはすでに神の国の先取りです。平和は、神さまが起こしてくださった願いです。キリストの平和が、私たちを今日も生かしてくださいますように。「御国を来たらせたまえ!」

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...