2022年7月6日水曜日

2022年7月6日の聖句

あなたにとって、主がとこしえの光となり、あなたの神があなたの誉れとなる。(イザヤ60:19)
私たちがイエスから聞いて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。(1ヨハネ1:5)

「神は光であり、神には闇が全くない。」これが、私たちに届けられた福音の言葉です。神は光、しかも、「あなたがたにとって、主がとこしえの光となり」と言っているとおり、今日は光っていても明日は切れてしまう蛍光灯とか、電池が切れたら暗くなってしまう懐中電灯ではありません。主は私たちのとこしえの光。いつまでも、どこまでも、主なる神様ご自身が私たちを照らしてくださいます。
神学校に通っていた夏休みに、四国にあるいくつかの教会で実習をさせて頂きました。その中の一つ、宿毛市にある教会で、夏のキャンプに参加しました。土佐の山間の野営施設でテントを張ってキャンプをした。その夜、空を見上げるとあまりにも美しい星空に息をのみました。今でもよく覚えています、あの星の輝きを。今まで見たどの星空よりもきれいでした。自分が見てきた夜空が、どんなにか都会の灯りに星を隠されているのかを知らされました。
少し逆説的な話ですが、光は、私たちにいろいろなことを想像させます。まず、神さまの光はきっと都会の光ではなくて、太陽や星の輝きのような光ではないでしょうか。神の光ならぬ光に囲まれていると、本当に大切な光が見えなくなります。そして、私たちの闇がどんなに深いのかも、よく分からなくなってしまいます。
私の大好きな、キリストの光を証しする御言葉があります。「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かりだからである。(黙示録21:23)」ここでは先ほどのイメージから更に進んで、太陽や月さえももはや必要ないと言っています。神様ご自身が、キリスト御自身が私たちの光、明かりになってくださるから。太陽や月さえももう必要なくなる日が来る。
そして今も、神さまは私たちを照らす光でいてくださいます。私たちの心や存在そのものが暗闇に包まれる時にも、神さまは光です。私たちが自分の罪の闇に気づかない時にも、キリストが私の明かりとなって照らし続けてくださっています。今朝の光の中で、主イエス・キリストの光を求めて、一日を始めましょう。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...