起きよ、光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に昇ったのだから。(イザヤ60:1)
あなたがたは皆、光の子ども、昼のこどもなのです。(1テサロニケ5:5)
神学生のとき、夏期伝道実習を東大宮教会で受けさせて頂きました。この教会の長老に児童養護施設を立ち上げ、運営しておられる方がおられ、そこの子どもたちが毎週の教会学校に通っていました。光の子どもの家という施設です。
「あなたがたは皆、光の子ども、昼の子どもなのです。」聖書はそのようにはっきりと言います。今日のこの御言葉を読んだときに、あの光の子どもの家のことを思い出しました。私が研修に伺った20年前でも、もう既に、入居している子どもたちの入居理由のほとんどが保護者による虐待だと伺いました。大人だって心身の暴力を受ければ深く傷つきます。まして子どもが、しかも自分を愛してくれるはずの存在から繰り返し傷つけられてきて、どんなに痛んできたことかと思います。そういう子どもたちと共に生きるときに何を伝えるのかということを考えて、あなたたちは光の子どもだし、ここは光の子どもであるあなたたちの家なのだと伝えたかったのだろうと思います。そして、それは私たちも同じです。私たちも光の子どもたちです。
光の子どもたちである私たちに、聖書は言います。「起きよ、光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に昇ったのだから。」主の栄光の光に照らされているあなたたち光の子どもは、起きて、自ら光を放つことができるのだ、と言うのです。驚くべき言葉です。私のイメージでは、どちらかというと、私たちは太陽ではなく月のようであって、自分で光ることはできないけれど神さまの光を反射させることなら・・・と思っていました。しかし聖書は「起きよ、光を放て」と言うのです。あなた自身が光を放て、と言います。ただそれにはちゃんとそうできるだけの根拠がある。あなたの光が来たのだから。主の栄光があなたを照らしているのだから。だから、起きよ、光を放て!
私たちが神さまに愛される光の子として生きるというのは、すでに光を放っているということなのではないでしょうか。神さまの愛を証言したとしたら、それこそが私たちの光ではないでしょうか。私たちはどんなに悲しいときにも、孤独なときにも、どうしてもうまくいかないときにも、光の子どもです。主イエス・キリストの光が私たちの内面から照っている。私たち自身が光とされている。この聖書の言葉を大胆にも信じ、光の子として今日の日を生きていきましょう。
あなたがたは皆、光の子ども、昼のこどもなのです。(1テサロニケ5:5)
神学生のとき、夏期伝道実習を東大宮教会で受けさせて頂きました。この教会の長老に児童養護施設を立ち上げ、運営しておられる方がおられ、そこの子どもたちが毎週の教会学校に通っていました。光の子どもの家という施設です。
「あなたがたは皆、光の子ども、昼の子どもなのです。」聖書はそのようにはっきりと言います。今日のこの御言葉を読んだときに、あの光の子どもの家のことを思い出しました。私が研修に伺った20年前でも、もう既に、入居している子どもたちの入居理由のほとんどが保護者による虐待だと伺いました。大人だって心身の暴力を受ければ深く傷つきます。まして子どもが、しかも自分を愛してくれるはずの存在から繰り返し傷つけられてきて、どんなに痛んできたことかと思います。そういう子どもたちと共に生きるときに何を伝えるのかということを考えて、あなたたちは光の子どもだし、ここは光の子どもであるあなたたちの家なのだと伝えたかったのだろうと思います。そして、それは私たちも同じです。私たちも光の子どもたちです。
光の子どもたちである私たちに、聖書は言います。「起きよ、光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に昇ったのだから。」主の栄光の光に照らされているあなたたち光の子どもは、起きて、自ら光を放つことができるのだ、と言うのです。驚くべき言葉です。私のイメージでは、どちらかというと、私たちは太陽ではなく月のようであって、自分で光ることはできないけれど神さまの光を反射させることなら・・・と思っていました。しかし聖書は「起きよ、光を放て」と言うのです。あなた自身が光を放て、と言います。ただそれにはちゃんとそうできるだけの根拠がある。あなたの光が来たのだから。主の栄光があなたを照らしているのだから。だから、起きよ、光を放て!
私たちが神さまに愛される光の子として生きるというのは、すでに光を放っているということなのではないでしょうか。神さまの愛を証言したとしたら、それこそが私たちの光ではないでしょうか。私たちはどんなに悲しいときにも、孤独なときにも、どうしてもうまくいかないときにも、光の子どもです。主イエス・キリストの光が私たちの内面から照っている。私たち自身が光とされている。この聖書の言葉を大胆にも信じ、光の子として今日の日を生きていきましょう。