2022年12月30日金曜日

2022年12月30日の聖句

六日間は働いて、あなたのすべての仕事をしなさい。しかし、七日目はあなたの神、主の安息日であるから、どのような仕事もしてはならない。(出エジプト記20:9,10)
安息日は、人のために定められた。(マルコ2:27)

数年前にFIREという言葉がはやりました。「経済的自立と早期リタイア」という英語の言葉の頭文字を取った言葉だそうです。株式などに代表される資産運用で生活し、仕事は早期にリタイアする。そういう人生設計を指す言葉なのだとか。そういう生き方を志向する人も、私と同じくらいの世代の人の中にはいるそうです。或いはそれとは逆に、日本ではずっと休みなく働き詰めることが美徳とされてきました。休まず働き続けることに美しさを見、例えインフルエンザやなにかになったとしても、無理にでも休まない人を立派な人と受け取ってきたように思います。或いはそれが「当たり前」だったのでしょうか。
聖書はそのどちらとも違う労働観を持っているようです。「六日間は働いて、あなたのすべての仕事をしなさい。しかし、七日目はあなたの神、主の安息日であるから、どのような仕事もしてはならない。」六日間はしっかり働く。現代の流行とはまた違いますが、例えば古代ギリシアには自由人と呼ばれる人がいました。彼らは労働は奴隷に任せて、思索にふけりました。労働には積極的な意味を見出さず、知を愛することをより上位に置いた。ところが聖書は六日間働くことを求めます。不労所得であろうと何であろうと食っていければそれでいいとは言いません。もちろん、ここでの「労働」は給与が発生する職業というだけの狭い意味ではなく、現在の自分の生活を維持するための家事を含めたすべての仕事や将来世代を育てる育児、先輩世代を世話する介護など。そうやって広く捉える必要があると思います。神さまが私たちにお与えになったすべての仕事に六日間誠実に仕える。
しかし、休みなく働きづめることが美徳だともいわない。七日目には休むようにと命じられています。休息もまた神さまのご命令です。休むことによって、自分だけではなく周りの者も休むことができるようになる。こうやって休むことによって、私たちは神が七日間かけて天地をお造りになったこと、しかもその七日目は安息日であったことを思い起こす。神さまの御業のリズムを自分の生活のリズムにする。
「安息日は、人のために定められた。」神さまは私たちのことを本当に深く考えてくださっています。働くことの尊い意義も、休むことの尊い意義も、神さまの御心の中に覚えられています。神さまは私たちの働いたり休んだりする生活のリズムの中で見上げるべきお方です。神さまはご飯を作ったり職場に行ったり家族の世話をしたりしつつ祈るお方です。神さまは私たちが休み、リラックスし、休みを楽しみつつ呼び求めるお方です。このお方こそが、私たちの毎日の生活を心にかけてくださっているからです。

2024年4月18日の聖句

シオンに住む者よ、叫び声を上げて、喜び歌え。 イスラエルの聖なる方は、あなたのただ中にいます偉大な方。(イザヤ12:6) 言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。(ヨハネ1:14) 「イスラエルの聖なる方は、あなたのただ中にいます」と、聖書は言います。私たちの...