2022年12月29日木曜日

2022年12月29日の聖句

神が言ったことを、行わないことがあろうか。告げたことを、成し遂げないことがあろうか。(民数記23:19)
イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。(2コリント1:19)

人間関係一つを考えても、言葉への誠実さはとても大切です。言ったことに責任をもつ、すると約束したことはキチンとする、「然り」と「否」を誠実に使う。子どもにもそういうことは教えます。しかし肝心の私たち大人の世界を見てみると、言葉においてとても不誠実な現実があります。それは特段に政治がとか社会がと大上段に論評する必要もありません。私たちの多くの者が言葉における不誠実さを自分自身のこととして知っているのではないでしょうか。
ところが神さまはそうではない、と聖書は言います。「神が言ったことを、行わないことがあろうか。告げたことを、成し遂げないことがあろうか。」「イエス・キリストは、『然り』と同時に『否』となったような方ではありません。この方においては『然り』だけが実現したのです。」神さまは言葉に誠実なお方です。ご自分の言葉をむなしくしてしまうことは絶対になさいません。神さまにおいては、言葉が地に落ちるということは絶対にあり得ないことです。そして、言葉に誠実だというのは相手を愛するということそのものです。言葉を自分勝手にたがえたり、相手を裏切ったりすることがないということです。言葉への不誠実は、愛への不誠実です。
ですから、神さまがご自分のお言葉への誠実を貫くというのは、子どものような屁理屈で考えることができないことです。例えば、神さまはアダムとエヴァに園の中央の木の実を取って食べるな、食べたら必ず死ぬとおっしゃいました。しかし彼らがそれを食べても直ちに死ぬことはなかった。神さまは言葉をたがえたのか?神さまにおいて、御言葉は私たち罪人を愛する愛そのものです。神さまに背を向け、離れ、裏切った者をなお愛し、その罪人を追い求める神さまの愛の心こそが神さまの御言葉です。だから、キリストにおいては「然り」だけが実現したと言われている。
私たちが例えどんなに不誠実であっても、神さまはご自身の誠実を貫かれます。この方が私たちへの愛の言葉をご自分の「然り」としていてくださる。圧倒的な神の愛の言葉が今日私たちに届けられています。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...