2023年3月25日土曜日

2023年3月25日の聖句

忍耐の力は強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。(箴言16:32)
平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)

「平和を造る人々は、幸いである。」主イエスがそのように言われます。他の誰でもなく、主イエスさまが。
平和を造る、というのはとても積極的な言葉です。平和を待ち望むというのなら、私もしています。平和になれば良いと願うのなら、誰にでもできます。しかし主イエスは「平和を造る」とおっしゃいました。私たちを平和を造る幸いに招いておられます。
私は、自分の意にそぐわない人のことはすぐに切り捨てたくなります。対話することに、正直に言ってすぐに疲れてしまいます。自分に仲良くしてくれる人やほめてくれる人のことはすぐに好きになります。こうして考えてみると、自分の好む平和なるものはずいぶんと受動的です。自分から平和を造ろうとするような積極性がなかったことに気付きます。
今日の旧約にも、やはり力強さを感じます。「忍耐の力は強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。」この「忍耐」は我慢するということではありません。この「自制」は大人の振る舞いのようなものではありません。平和を造る積極的な力です。
「平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」そのように言われた主イエスさまこそ、他の誰も比べることのできない、平和を造るお方です。キリストこそが平和です。そして、このお方こそが神の子です。神の子である方が平和を造ってくださった。平和を造る者は私と同じように呼ばれるのだ、と主イエスは言われるのです。
私は、自分がどんなに平和からほど遠いのか、考えざるを得ません。忍耐や自制の力がない。消極的に平和のおこぼれが転がってくることを求めている。それは、平和から遠いということです。いさかいを起こしているかどうかということだけではなく、平和の力に今現に生きているか否かを主イエスは問うておられるのだと思います。
「平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」本当に不思議なことに、私たちも洗礼を受けたときに神の子と呼ばれるようになりました。このような私が。こんなに平和からほど遠い私が。それは、私たちがこの後は平和を造る幸い、神の子と呼ばれる幸いに生きることを望んでいてくださるキリストの力強い祝福を頂いている徴です。私たちは私たちをご自分の子と呼んでくださるお方の力強い御言葉によって、今日も生かされているのです。

2024年5月22日の聖句

主はその民を贖い、契約をとこしえに定めた。(詩編111:9) この方(イエス・キリスト)こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪だけではなく、全世界の罪のための宥めの献げ物です。(1ヨハネ2:2) 主が民をご自分のものとしてくださった。御言葉はそのように宣言します。私たちも神の民、神の...