2023年3月27日月曜日

2023年3月27日の聖句

神よ、御名のように、あなたへの賛美は地の果てにまで及びます。(詩編48:11)
行って、「天の国は近づいた」と宣べ伝えなさい。(マタイ10:7)

「御名のように」と今日の旧約聖書に書かれています。御名のように、というのはどういう意味なのでしょうか。これだけではにわかにはっきりしないところもありますが、私は次のように考えます。
出エジプト記第3章で、主なる神様がモーセと出会ったとき、神様はご自身のお名前を「私はいる、という者である」とおっしゃいました。とても不思議な言葉です。日本語には翻訳不可能な言葉ですが、そもそも原文のヘブル語でもかなり謎めいた表現です。「わたしは『いる』という者である」ではありません。「いる」が神の名ではない。「私はいる、という者である」全体が神のお名前だとおっしゃっているように思います。神様はどこかに静的に存在する崇高な概念のようなものではない。神様はここにおられ、御業をなさっている。モーセに現れたときには、エジプトで虐げられているご自分の民のために救いの御業をなさいます。そのために、神は人々の叫びを聞き、モーセと出会い、ご自分がここにおられることを宣言なさった。そういう神様の動きそのものが神のお名前だということなのだと思います。
「神よ、御名のように、あなたへの賛美は地の果てにまで及びます。」この「御名のように」というのは、そのようにして神がご自分の救いの御業を地の果てにまで及ぼしてくださる、ということではないでしょうか。神様の恵み深い御業の、果てしない広がりを言い表しているのではないでしょうか。それと同じように、神を賛美する歌声は地の果てにまで広がる。神の恵みを知るすべての人が歌うから。
「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と主イエスはお命じになります。私たちが地の果てにまで、神の御名とその恵みの御業を伝えるように、主は私たちを招いておられます。私たちが今日出て行くところは、キリストに遣わされた場所です。そこで私たちが天の国の福音を宣べ伝えるために。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...